I(アイ)メッセージ
すこし前の話です。ファシリテーションのトレーニング後に、参加者の A さんから「議論を経ず自分で何もかも決めてしまう上司をどう扱えばいいか」というご質問をいただきました。
「A さんがそう思っていることを上司はご存じなのですか?」と聞くと「さあ……」との返事。上司本人は、十分に話し合っている、あるいは A さんの能力が信頼できず自分が決めるしかない、などと思っているかもしれません。いずれにせよ認識に食い違いがあるのは確かそうです。
「話し合い方について話し合いたいと申し出てみてはどうでしょうか?」
「そうしなければと思っていました。ただけっこう怖い人なので、どう言えばいいか……」
「『あなたは独断専行を何とかすべきです』なんて、たとえ言えても逆効果ですよね。いわゆる I(アイ)メッセージで、『決めた結論だけを伝えられると、【私は】やる気をそがれてしまいます』というような言い方ではどうでしょうか」
「そうですね、私がそう思っているのは事実なので、その共有からですかね」
そんな会話でその場は終わりになりました。
ただ、A さんにはそう言っておきながら、ややモヤモヤしていました。部下から I メッセージで「【私は】やる気をそがれてしまいます」と言われた上司はどう感じるか。言明はされていなくても、
「部下の私はこうして自分のネガティブな気持ちを打ち明けました。上司のあなたにはこれを何とかする責任がありますよね?」
と責められている気持ちにさせられるのではないか。とすると、単に「ずるいものの言い方」をアドバイスしただけではないか。敢えて言語化すればそのようなモヤモヤです。
そう思って世の中のメッセージを読んでみると、「I メッセージの出し逃げ」とでもいうべきパターンが意外に多いことにも気づきました。
「私は悲しくなりました」(あなたが悪いせいで)、
「私は傷つきました」(あなたが鈍いせいで)、
といった具合に、カッコの部分は言わないけれど匂わされるので、相手が「ごめんなさい」と言わなければならないという気にさせられるパターンです。
「感情に責任を取る」ということ
最近、マーシャル・B・ローゼンバーグ 『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』を読んでいて、このモヤモヤを晴らすヒントに出会いました。「ずるいものの言い方」だと感じたのはもっともで、ある種の人心操作だと気づきました。すこし長くなってしまいますが、段落を一つ引用します。
罪悪感で人を動機づけるということは、自分の感情を相手のせいにするということだ。親が子どもに向かって「あなたの成績が悪いと、ママとパパは悲しい」といえば、子どものふるまいが両親の幸福や不幸の原因であるとほのめかしていることになる。相手の感情に対して責任を感じることと、進んで人に気を配ることは一見よく似ている。子どもは親を気づかい、両親の苦しみに対して申し訳ないと思っているようにふるまうだろう。しかし、このような責任を感じている子どもが親の願いを叶えるために行動を変えたとしたら、それは子ども自身が心の底から行動を起こしているのではなく、罪悪感を避けるために行動を起こしているのだ。
親をAさんに、子供を上司に置き換えれば、類似は明らかです。このような言い方が機能すると、Aさんとしては「上司の扱い方を覚えた」と思うかもしれません。しかしそれは上司を罪悪感で動機づける、ひそやかな操作主義的行動です。このような表現を、本書では『自分の感情に責任をとることを回避しようとする』表現だと戒めています。
I・I(アイ・アイ)メッセージ
ではどうすればよいか。ローゼンバーグ氏は次のように述べています。
自分の責任に対する自覚を深めるには、「わたしは……と感じる。なぜなら、わたしが……だからだ」というかたちの文章に置き換えてみればいい。
本書の例を引きます。
「あなたがごはんを全部食べないとママはがっかりしてしまうわ」
は、自分の感情に責任を取っていません。自分の感情を子供のせいにしているからです。感情に責任を取るとは
「ママはあなたに強く健康に育ってほしいから」
と自分を主語にした理由を付けて伝えることです。
自分ががっかりするのは、子供がごはんを全部食べないという事実ではなく、自分が子どもに寄せていた期待が裏切られるから。それを自覚するのが「自分の感情に責任を取る」ことです。
「あなたの成績が悪いと、ママとパパは悲しい」
はどうでしょうか。自分たちはなぜ子供に良い成績を望むのか、掘り下げていくと
「親としての体面が保てないからだ」
といった利己主義的な理由が潜んでいることに気づくかもしれません(体面を気にするのが悪いということではなく、その自覚がないまま「ママとパパは悲しい」といって子供を罪悪感で動機づけようとするのが問題という意味です、念のため)。
Aさんが自分の感情に責任を取るとは、
「決めた結論だけを伝えられると、私はやる気をそがれてしまいます」
に、たとえば
「なぜなら、私も立案に参加することで仕事にオーナーシップを持ちたいと思っているからです」
といった欲求を添えることです。
これだけのことを言うためには、Aさんは自分自身を分析する必要があります。たとえば、同僚のBは自分とは逆に、上司が巻き込んできてうっとうしい、やるべき仕事をさっさと与えてほしいと言っている。なぜ自分はそうではないのか。自分は仕事に何を望んでいるのか。そういった問いを発する過程で、単にネガティブな感情をぶつけ(て何とかしてくれと上司に丸投げす)る以外の選択肢も見つかるかもしれません。
NVC(Nonviolent Communication、非暴力的なコミュニケーション)では、コミュニケーションを観察・感情・ニーズ・要求という4要素にわけています。実のところ、10年前に本書を引用したと思われる本を元に「コミュニケーションの玉ねぎ」というノートを書いた時からこの4要素は知っていました。
罪悪感で人を動かすというテクニックについても、罪悪感 (Guilt) 意外に恐怖心 (Fear) と義務感 (Obligation) 、あわせて “FOG” が使えることを、7年前のノート(「攻め込まれたときのSOS」)に書いています。
これらは講義で引用したり、冒頭のように相談に乗るときにも意識したりして、わりと実践できているのではないかというひそか自負があったのですが、上に述べてきたように、理解もあやふやで実践もろくにできていないことがわかりました(でもこうやって書いてみると、後知恵バイアスとは恐ろしいもので、「あたりまえ」すぎるように思えてノートごと消してしまいたくなります)。
I メッセージを発する以上は、感情 (I feel …) だけでなくそれをもたらした欲求や思い (because I …) を説明できるようにしておく。この学びを、「I・I(アイ・アイ)メッセージ」という造語で覚えておこうと思います。
「787. I・I(アイ・アイ)メッセージ」への1件の返信
[…] 前回の「I・I(アイ・アイ)メッセージ」の結論は、『I メッセージを発する以上は、感情 (I feel …) だけでなくそれをもたらした欲求や思い (because I …) を説明できるようにしておく』というものでした。今回もやや似た結論になりそうです。 […]