“Haiku approach”
異文化コミュニケーションの泰斗である吉川 宗男ハワイ大学名誉教授は、著書『出会いの哲学』で、ハワイ大学で教鞭を執りはじめたときのことを次のように回想しています。その中にあった”Haiku approach”という言葉に引かれました。
授業の手法としては “Haiku approach” というのを採り入れた。この手法では、テーマを決めると、それに関係するエッセンスだけをこちらが述べる。しかし、それだけでは空間だらけで完壁というには程遠い。その空間を埋めるのが、学習者自身で、自分が何を感じ考え、それが自分にとって何を意味するのかを、何らかの形で表現する。
「採り入れた」とありますので、その時点ではすでに存在していた手法なのでしょう。ただ、今ネットを検索してもそのものずばりの教育手法を見つけることはできませんでした。
ただ、その意味するところは、引用部分からだけでも十分に予測がつきます。教師が俳句を選び、生徒がそれを吟味・解釈していくということですね。
そう考えてみると、わたしの今の仕事も “Haiku approach” だなと気づきました。というより、この言葉を目にした時点でそのように感じていたのでしょう。
たとえば「社長の立場で考える」という言葉。管理職や経営幹部の方がしばしば言われる言葉です。一見もっともですが、実践の難しい言葉でもあります。
先日も、研修の中でそんな話になりました。「部長は社長の立場でも考えてみるべきか?」といえば、まず全員がYesということになります。しかし状況を具体的に絞って、「有能な部下を、それが会社のためだからという理由で引き抜かれることに賛成できるか?」と問えば、これはNoになります。
実際問題、ここで唯々諾々とYesと言ってしまうようでは、部長の存在意義が問われるでしょう。いつも社長の決断を素通しする部長ならば、もとから社長がすべてを決めればよいのです。
では社長の立場で考えることには意味がないのか?意味があるとしたら、どのような意味があるのか?その意味を生み出すためには、自分には、組織には、そして社長には、何が求められるのか?こういった思考作業を通じて、部長は「社長の立場で考える」という言葉に、自分なりの解釈を与えていきます。
金言を俳句アプローチで自分だけの言葉にする
多くの人が、自分なりに大事にしたい姿勢を言葉にして持ち歩いています。たとえば「誠実」という言葉。すべからくこういった抽象的な言葉は、大事にしようと思えば思うほど矛盾に悩む場面が出てきます。たとえば、ビジネスの交渉ごとにおける誠実さとは何なのか(正直とはどう違うのか)?不誠実な相手にも誠実を貫き通すべきなのか?ケースバイケースで態度を変えるというなら、それは誠実といえるのか?
実生活では、上記のような悩ましい場面の積み重ねの中で、明確に言語化されないにせよ、自分なりの「誠実」さが作られていくものだと思います。ただときどきは、敢えて言語化してみることで、金言がますます輝くかもしれません。
俳句ではありませんが、わたしは短いリスト(箇条書き)を愛していて、まさに「誠実」についてのリストを肴に “Haiku approach” を試みたことがあります。ご参考までに。
「読み物 – 232. 「〜の○つの原則」が自分のものになるまで」(『リストのチカラ』所収。考えてみるとこの本の後半は、理屈っぽい俳句の作り方のようなものです)。