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コンセプトノート

276. 非インテリジェント・デザイン

インテリジェント・デザイン(「知的設計」論、intelligent design)とは、知性ある設計者によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説。しばしば、ID(アイディー)と略される。
インテリジェント・デザイン – Wikipedia

個人的にはインテリジェント・デザインという考え方に与するものではありません。しかし創造の過程はどうあれ、進化の結果としていま目の前にいる小さな昆虫などを見ていると「知性ある設計者」の存在を想像したくなる気持ちは分かります。

自然や生命の仕組みはそれほどまでに精妙で、そのデザインを壊すことなど及びもつきません。一方、組織は人間が作るものです。何万人の大企業であろうと、誰かが意図を持って仕組みを作り、運営しています。完璧ではありません。

それにも関わらず、我々は組織が課してくるデザイン上の制約を、あたかも「知性ある設計者」が作りあげたもののように受けとめ、変えられないものであるかのように不満を言ったりしています。その仮想の制約に基づいて意志決定をしたりしています。例えば:

処遇に不満があるのに社内の誰にも相談せず、転職する。
「前例がない」からと、提案をあきらめる。
「そういうものだ」と、部下の不満を押し込める。

そういった制約の多くは、実際には社員よって支えられている幻想であることが少なくありません。

幻想とはいえ、強固なものです。ある企業の研修で、現場の制約をまったく外した「理想のプロジェクト」を定義してみたことがありますが、結果は奇妙なものになりました。チームによっては、メンバーの希望を容れない人材配置や残業を前提にしたスケジュールなど、「現状の縮図」としか言えないようなプロジェクトになってしまうのです。

幻想に囚われていることは、他人事として見ている分にはまだ指摘しやすいものです。しかし自分自身の幻想、または自分がその一部となっている組織(家族・企業・社会など)の幻想を見極めることは、とても難しいものです。

よい意志決定の障害となるこの幻想をどう取り除くか。依然試行錯誤の途中ですが、(1)判断基準となる「ありたい自分」を現状から離れて明確にすることと、(2)自分の思考や組織の制約が「インテリジェント・デザイン」ではないことを肝に銘じること、の2点は、欠かせない要素だと考えています。