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コンセプトノート

725. 長老的リーダーシップ

なぜ、長老にすべてを聞かないのか

物語では、村人がほんとうに困った事態に陥ったときに、村長が先頭に立って「長老」に教えを乞いに行くシーンがよくあります。長老は、たいてい村の隅に住んでいる老人で、昔のことをよく知っている知恵者です。

それほど賢い人が村にいるなら、なぜ長老にもっと頼らないのか。

「胴上げしたい」と言われない監督

上のように思ったきっかけは、大利 実『101年目の高校野球「いまどき世代」の力を引き出す監督たち』(インプレス、2016年)です。高校野球の監督へのインタビューが10編収められています。結果を出してきた監督の、それぞれに異なる持論が展開されていて、社会人の組織に通ずるものが多いなあと感じながら読みました。

「人で勝つ」という平田 隆康監督は、2014年に県大会で準優勝した代の生徒達によって、考え方が変わったそうです。

 彼らに出会うまでは、「監督を胴上げする!」「監督を男にしたい!」という選手の声を聞くことが、やりがいのひとつでもあった。でも、今は違う。

「監督を胴上げしたいと言わせたらダメだなと思っています。監督は、選手同士のきずなを強くするためにいるのであって、真ん中にいてはいけないのです。選手の周りにいて、見守っているのが理想だと感じています」 ―― 平田 隆康 監督 向上(神奈川)

特に「胴上げしたいと言われないように」というポジショニングが、ビジネススクールでクラスを受け持つときに気を付けていることと同じで、強く共感しました。個人的に、科目が何であれ「自律的な意思決定力を高める」という根本目的を掲げているので、講師が怖いからとか、講師を喜ばせたいからとか、クラスの終了と共に消えかねない動機づけは避けたいと思っています。

「長老」という言葉は、この次に出てきます。

「村の長老みたいな感じですかね?」と尋ねると、「まさにそういう感じかもしれませんね」と頷いた。

長老的リーダーシップ

野球部を村にたとえると、村長を務めるべきは監督でしょう。ところが平田監督は、自分を長老だと言っています。村長(選手代表のキャプテンということになるでしょうか)を含めて村民たる高校生からすると、勝手に隠居しないでもっと細々と教えてくださいよ、と思うのではないでしょうか。

平田監督は、自分の考えが変わるきっかけとなった代を「大人の集団」だったと述べています。

 「何が大人かと言うと、教員に対する依存心がないんです。(略)依存してくれたほうが、教員としても監督としても嬉しいものです。でも、彼らにはそれがない。はじめはドライだなと思っていたんですけど、そのほうが接しやすいことにも気づいたんです。(略)わかりやすく言えば、自立ですね。」

依存してくれたほうが嬉しい、という一文が光って見えました。長と名の付く職にある人が無意識のうちに抱いてしまう感情を捉えたうえで、意識的に手放したことが、もともと自立の素養があった代の成長を促し、結果につながったのではないでしょうか。

現場の問題のほとんどは、現地にいて現物を知っているわれわれこそが、最善の解決策を導ける。その覚悟があれば、そのとおりになるでしょう。解決策として優れているだけでなく、それを実行しきろうという意欲も高くなるので。

ただし、自分たちの経験を越えた周期で起きるような問題に対しては、昔の現場や歴史を知っている人に知恵を借りたほうがよい。そこに長老の存在価値があります。物語でも長老が語るのは、村民の誰も生まれていないような昔の出来事や、長老自身が先代から語り伝えられた神話的な知恵です。

高校生の組織は3年で入れ替わってしまうため、監督は長老といってもかなり積極的に語り部とならねばならないでしょう。しかし一般の組織はそこまでアグレッシブに代替わりすることはまれです。ですのでリーダーは、より容易に、より大胆に、長老的リーダーシップを発揮する余地がありそうです。

組織運営のモデルケースとしての学校

長老の話以外にも、一般組織の運営を考えるうえで示唆に富む経験談がいろいろありました。

3年で全員が入れ替わるのに、3年を越えて結果を出している高校は、採用や育成など、特定の代の活躍に依存しない構造的な何かを強みとして蓄えているのでしょう。

遺伝子操作の実験には世代間隔の短い種が選ばれます。学校組織も一般組織よりは世代間隔が短く、新しい取り組みの効果は比較的短期に出ます。運営方法のモデルケースとして観察すれば、学びが多そうです。

様々な監督が、それぞれのやり方で「いまどき世代」に適応して、結果を出している事例を読みながら、そんなことも感じました。