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コンセプトノート

468. 言葉のパンチを繰り出す前に

交渉の専門家であるスチュアート・ダイアモンドは、生徒の一人だったニールのエピソードを自著で紹介しています。ニールは一流大学のロースクールを出て、大手不動産会社の法律顧問を務めています(1)。

ニールは友人を連れてレストランに行った。ビールを注文したが、運ばれてきたのは食事が来てから30分後。ニールは反射的に尋ねた。
「ドリンクは夕食前に出すのが決まりだよね?」
ウェイトレスはしきりに詫びて、こう弁解した。
「すみません、他のテーブルとごっちゃになってしまいました」
「それは僕のせい?」
「とんでもないです」
「ビールはもういらないよ」
「それはできません。ビンも空けてしまったし、端末に料金も入力してしまいました」
「自分の間違いの尻ぬぐいを客にさせるのが、このレストランの方針なのかい?」
「もちろん、そんなことはありません」
「これまで、料金を勘定から引いた前例はないの?」
ウェイトレスは料金を引いた。

……いかがでしょうか。レストランの「決まり」や「方針」といった、相手の規範を根拠にして自分の正しさを主張したり、前例をとっかかりに風穴を開けたり、交渉術のお手本のような交渉ぶりです。しかし、この事例には続きがあります。

ウェイトレスが行ってしまうと、友人が、ウェイトレスが料金を引いたのには驚いたと打ち明けた。
「このチェーンを知ってるけど、あの料金は、ウェイトレスの薄給から引かれるに違いないよ」
ウェイトレスは人前で馬鹿にされたくないばかりに、もしかしたら家族の食費を削ったのかもしれない。

ニールに非はありません。食前に来るべきビールが食事の30分も後に来たならば、キャンセルして当然です。そしてニールにしてみれば、ウェイトレスをやりこめることなど簡単でしょう。しかし、どこかアンフェアな印象を受けます。プロボクサーが一般人とケンカして拳を振るうような感じに近いでしょうか。

ニールはどこで歯止めをかけるべきだったか。こういう状況にあって、「その場」で思い出せるほど短いリストを使うとしたら、どんなものが使えるだろうか。そう考えたとき、2つのリストが浮かんできました。

  • 【良心】個人や宗教に根拠を置くもので、完璧な道徳性をめざして人々を導くもの
  • 【一般的な道徳律】すべての人間が社会生活で持つべき義務として取り扱われる、一般的な道徳のルール
  • 【専門的基準】職業的な倫理、つまり、人の果たす役割に伴う義務と見なされる伝統的な期待

道徳的な判断に必要な3つの義務感*ListFreak

このリストを使うと、個人的な良心、社会的な道徳、職業的な倫理に照らしてどうすべきかと考えてみることができます。ニールがこのリストを使ったら、ウェイトレスを交渉術でやりこめることに対して、プロの法律家としての職業倫理が警報を鳴らしたかもしれません。

  1. これらのことばは真実か?
  2. これらのことばは必要か?
  3. これらのことばに思いやりはあるか?

カッと来た時、口を開く前に思い出すべき「三つの門」*ListFreak

ニールは「反射的に」交渉をはじめたとあります。もしこのリストを使っていれば、料金を引くことが何を意味するか、考えをめぐらせる余裕が生まれたかもしれません。

ニールはどうしたか。彼の話を聞きましょう。

「自分のビール代が彼女の薄給から出ているかもしれないと知って、ぼくはショックを受けた」
「結局ぼくはビール代を払い、対人関係のいい教訓になったよとウェイトレスに礼を言った」
「あれをきっかけに、交渉術の力を本当の意味で意識するようになった。これほどの力を秘めているからには、賢明に使わなければ、と」
「この教訓は、自分のキャリアに大きな影響を与えるだろう」


(1)スチュアート・ダイアモンド『ウォートン流 人生のすべてにおいてもっとトクをする新しい交渉術』(集英社、2012年)より。本文を編集のうえ引用しています。