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コンセプトノート

722. 苦難から立ち直れる「ボタン」がある

ストレスを軽減するボタン

シェリル・サンドバーグとアダム・グラント 『OPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜び』(日本経済新聞出版社, 2017年)で、次のような実験(1)が紹介されていました。

不快な騒音を参加者に聞かせて、集中力が求められるパズルなどの課題に取り組んでもらった。
参加者は汗をかきはじめ、心拍数と血圧が上昇した。集中が途切れ、ミスを連発した。イライラするあまり、課題を投げ出してしまった人たちもいた。
このとき参加者の一部に、ストレスを軽減するための逃げ道を与えた。騒音があまりに不快になったら、ボタンを押して音を止められると教えたのだ。
予想どおり、ボタンを与えられた参加者は冷静を保ち、ミスが少なく、いらだちを見せることも少なかった。
そこは驚くところではない。驚くべきは、実際にボタンを押した参加者が、ただのひとりもいなかったことである。

なぜか。研究者はこう分析しているそうです。

参加者はボタンを与えられたことで、「自分で状況をコントロールできる」という意識(コントロール感)をもち、その結果としてストレスに耐える力が高まったのである。

コントロール「感」とは何か

コントロール「感」とは何かと考えてみると、2つの要素がありそうです。一つは、自分がやることを自分で決められると思えること。もう一つは、やると決めたことを実際にやれる(だけの力がある)と思えること。

とすると、これは内発的動機づけ理論でいう「自律性」と「有能さ」への欲求にほかなりません。

  • 自律性への欲求(the need for autonomy) ― 自分自身の選択で行動していると感じたい
  • 有能さへの欲求(the need for competence) ― 環境と効果的にかかわり、有能感を感じたい
  • 関係性への欲求(the need for relatedness) ― 他者とつながりをもち、かかわりあっていきたい

自発性(内発的動機づけ)のみなもと*ListFreak

日常生活において、コントロール感を失いがちなのはどういう状況か。大きな失敗、病気、怪我、喪失など、いわゆる「苦難」に陥ったときでしょう(著者のサンドバーグは、夫を突然亡くした経験からこの本を書いています)。

そういった状況においては、3つのPが立ち直りを妨げるとのこと。

  • 【自責化】 自分が悪いのだと思うこと (Personalization)
  • 【普遍化】 あるできごとが人生のすべての側面に影響すると思うこと (Pervasiveness)
  • 【永続化】 あるできごとの余波がいつまでも続くと思うこと (Permanence)

苦難からの立ち直りを妨げる「3つのP」*ListFreak

苦難 → 「自分のせいで、何もかも、いつまでも、悪いままだろう」と思う(3P) → コントロール感(自律性と有能感)を失う → ストレス、という構造のようです。

何らかの「ボタン」でコントロール感を取り戻すことは、ストレス軽減にも3P解消にも役立ちます。

苦難においても、「自分が選べる(自律性を感じられる)もの」「自分がやれる(有能さを感じられるもの)もの」に目を向ける。アウシュビッツに収容された心理学者ヴィクトール・フランクルが、「どんな状況にあっても、それに対する態度は選べる」という発見によって収容所生活を生き延びたというエピソードを思い出しました。

ボタンを差し出す

サンドバーグは、自助にとどまらず、「親しい人が逆境に苦しんでいるとき、ボタンを差し出すにはどうすればいいだろう?」と問い、共著者アダム・グラントの実践例を紹介しています。彼の受け持っていたクラスの生徒であるオーウェンが自殺してしまったときのことです。

オーウェンが自殺してから、アダムは学部生の授業の初日に、自分の携帯電話の番号を黒板に書くことにした。そして、僕が必要になったら24時間いつでも電話してきなさいと、学生に伝えている。学生が電話をかけてくることはめったにないが、いまでは全員が、キャンパスで提供される精神衛生面のサポートに加え、もうひとつずつボタンをもっているのだ。

実際に押さなくても効果を発揮するという点では、「ボタン」の鮮やかな事例です。しかし、ボタンを渡された人が感じるものは、実験の参加者とグラントの生徒では違っているように思います。冒頭で紹介した実験におけるボタンがコントロール感を高めているとしたら、グラントが差し出したボタンは何を高めているのでしょうか。

先述の「自発性(内発的動機づけ)のみなもと」の3つめの要素、「関係性」ではないでしょうか。

押せるボタンがある。その思いが、ストレスを減らし苦難をやわらげる。この知識はそれだけで、つまり具体的なボタンが見つからない状態であっても、役に立ちそうです。自分のためにも、親しい人のためにも。


(1) Glass, David C., Bruce Reim, and Jerome E. Singer. “Behavioral consequences of adaptation to controllable and uncontrollable noise.” Journal of Experimental Social Psychology 7.2 (1971): 244-257. ; Glass, David C., and Jerome E. Singer. “Experimental studies of uncontrollable and unpredictable noise.” Representative Research in Social Psychology (1973).