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コンセプトノート

279. 繊細だがひ弱ではなく、逞しいが鈍感ではない

競争社会から共生社会へと移行していく(いかなければならない)という前提を置くと、これからのリーダーにはどのようなあり方が求められるか。発明家の藤村 靖之氏は繊細さとたくましさを併せ持つことだと説いています。

(引用者注:現在の日本のような競争社会では)感受性が鈍くて、たくましい人がリーダーになっているんですね。政治家にもいますよね。感受性が鈍くて、けっして繊細ではないから、人の痛みを我がことのように感じることはできない。けれどたくましい。感受性が鈍くてひ弱な人たちが、この人たちの子分になる。それは学校でもそうです。感受性が強くて、繊細でひ弱な人たちが犠牲者になる。いじめられたり、ひきこもったりする。(p76)
― 藤村 靖之、辻 信一 『テクテクノロジー革命―非電化とスロービジネスが未来をひらく 』 大月書店 2008年

上の文章は、同じページに載っているマトリクスと併せて読むとよく理解できます(原図にはもう少し書き込みがありますが、軸と象限の名前だけを引用しています)。

                  逞しい                    
                    │                      
        競争社会の  │  共生社会の          
          リーダー  │  リーダー            
                    │                      
鈍感  ───────┼────────  繊細
                    │                      
        競争社会の  │  平和主義者          
      従順な働き手  │  =競争社会では      
                    │  「負け組」          
                    │                      
                    ひ弱                    

「繊細−鈍感」という軸は「ひ弱−逞しい」という軸と同じような気がしていましたが、こうやって図に描いてみると、たしかに直交し得る概念ですね。そして「繊細だが逞しい」ことは、自立した社会人として好ましいポジショニングだと思います。「ありたい自分」を考えるヒントの一つになるでしょう。

「繊細−鈍感」軸は感受性を表しています。これは分かりやすい。一方「ひ弱−逞しい」軸は、直感的には分かるものの、具体的に何を指すのかが分かりづらい。共著者で対談相手の辻 信一氏もこの「たくましさ」について質問をし、藤村氏はこう答えます。

競争が苦手な人たちが、競争の中に飛びこんでいってもつらい。でもそういう条件の中でさえ、自分たちがきちんと幸せに生きていくための力を「たくましい」と表現します。先住民族型の平和主義者の人たちが、この過酷な競争主義に陥ってしまった社会の中で堂々と生きていって、そしてリーダーシップを発揮できるようなたくましさです。(p77、同上)

上で引用した図において、「共生社会のリーダー」になるのは「平和主義者」であることが示されています。「平和主義者」から「共生社会のリーダー」へと、「成長」とラベルされた矢印が伸びているのです。そしてその矢印には「役割認識」「知性」「テクニック」という言葉が添えられています。

この本にはそれ以上の説明がないので、わたしなりに言葉をふくらませてみました。

◆繊細な平和主義者が、逞しさを備えた共生社会のリーダーに成長するために身につけるべき3つのもの
・社会のあるべき姿を論じられる「知性」
・競争社会に染まることなく生き抜ける「テクニック」
・共生社会のリーダーを担おうという「役割認識」