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コンセプトノート

479. 答える専門家、問う「専問家」

先日読んだ『工学部ヒラノ教授と七人の天才』という本に、こんなリストがありました。工学部出身として思わず収集してしまいました。

  • 第〇条 索引がない本は読まないこと
  • 第一条 決められた時間に遅れないこと(納期をも守ること)
  • 第二条 一流の専門家になって、仲間たちの信頼をかち取るべく努力すること
  • 第三条 専門以外のことには軽々に口出ししないこと
  • 第四条 仲間から頼まれたことは、(特別な事情がない限り)断らないこと
  • 第五条 他人の話は最後まで聞くこと
  • 第六条 学生や仲間をけなさないこと
  • 第七条 拙速を旨とすべきこと

工学部の教え・八ヶ条*ListFreak

第三条を読んで、専門家の門の字を「問」と間違えないように「専門家には口出すな」と教えられたことを思い出しました。しかし、考えてみると「専問家」、つまり「専ら問う人」という言葉も、あってよいように思います。

何かを決めるとき、人は「専問家」です。政治家は事務方に、リーダーはSME(各分野のエキスパート)に、クルマを買う人はディーラーに、いろいろと質問をして情報収集をしたうえで、決断します。

仕事をしている誰しもが、ある分野では専門家(答える人)ですし、他の分野では「専問家」(問う人)になります。そこで両方の経験を思い出しながら、「専問家」として専門家に問うときの心得をまとめてみたいと思います。

【答えの“使い道”を明らかにする】

専門家は、自分の意見が妄信されることを恐れます。したがって「専問家」は、決めるのは自分であると理解していることを、会話の中で伝えるべきでしょう。

【知ったかぶりをしない】

専門家は、半可通を嫌います。したがって「専問家」は、自説を開陳してそれに承認を求めるような質問(例:「○○って、しょせん××ってことですよね」)を避けるべきでしょう。

【自分の理解を確認する】

専門家は、専門知識が聞き手によって恣意的に解釈されることを嫌います。したがって「専問家」は、専門家から学んだことを自分なりの言葉に置き換えて、自分の理解を確かめるべきでしょう。

【張り合わない】

「専問家」も、自分の専門では専門家です。教えを乞うてばかりいると、話を自分の土俵にねじ曲げて自分の知識を披露したいという、奇妙な誘惑に駆られることがあります。自分の小さな自尊心は満たされるかもしれませんが、会話の目的から外れて専門家の口を封じてしまっては「専問家」失格というべきでしょう。

【専門性の枠に閉じ込めない】

専門家は、「専門以外のことには軽々に口出ししない」という倫理基準のようなものを持っています。しかし、専門にこだわるのと専門に閉じこもるのは、別です(参考;『専門性から降りて始まる「プロ」への道』)。専門家が専門に閉じこもることによって全体最適が失われたり、イノベーションが滞ったりする事例は数多くあります。

したがって「専問家」は、欲しい答えにつながる問いだけを立てて専門家を使い捨ているような、専門バカ扱いは避けるべきでしょう。ここまでの心得を実践し、専門家も理解してくれたと思ったら、オススメを聞いてみるなど、あえて専門領域を踏み越えさせるような問いを発してみるのもよいと思います。

※ 本文には関係ないので書きませんでしたが、専ら聞く人、つまり「専聞家」も「せんもんか」と読めますね。

専門家=コンサルタント
専問家=コーチ
専聞家=カウンセラー

みたいな切り口で一本書けそうです。備忘録代わりにここにメモしておきます。