仲間を撃つことになっても、という決断
1968年3月16日、アメリカ軍兵士が非武装のベトナム人住民500人以上を虐殺するという事件(ソンミ村虐殺事件、Wikipedia)が起きました。
このとき、同じアメリカ軍のヒュー・トンプソン上級准尉が上空からこの現場を目撃し、これを阻止しようと行動します。
軍法会議にかけられること、また彼の部隊の2人の乗組員の命を危険にさらすというリスクがあったにもかかわらず、彼はその虐殺を中止させた。彼は着陸し、アメリカ人兵士たちが民間人に向けて発砲し続けるようなことがあれば彼らを射撃するよう、部隊の射撃手と隊長に命じたのだった。(略)ミライの悲劇(引用者注:ソンミ村虐殺事件のこと)は、兵士たちが凶悪なことを実行するよう命令される場合と、天の声にしたがって命令に逆らう場合との間で陥るひどいジレンマを浮き彫りにしている。
ポジティブ心理学の創始者の一人として知られるマーティン・セリグマン博士は、「総合的兵士健康度プログラム(CSF)」と呼ばれるアメリカ軍兵士の心身の健康を保つプログラムの構築に協力しました。博士は著書『ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から“持続的幸福”へ』で、1章を割いてそこからの学びをまとめています。上記も本書からの引用です。
同じアメリカ軍が民間人を虐殺するのを見る。それを阻止するために、部下に仲間への射撃準備を命じる。トンプソン上級准尉の葛藤は、想像することさえ難しいものです。そのような修羅場にあって健全な判断をし、さらにその後も精神的な健康を維持するためには、何があればよいのでしょうか。
引用文には「天の声にしたがって」とあります。一般的なアメリカ人ならキリスト教の神の声を聞こうとするかもしれません。しかしアメリカ軍の公式プログラムでは神学的な枠組みは使えません。なぜなら『合衆国憲法修正第一条は、議会が国教を樹立することを禁じている』から。
天の声に従えないとすると、何にしたがうべきなのか。
スピリチュアル・コア
CSFの「スピリチュアル面の健康度に関するモジュール」ではスピリチュアル・コアというものが定義されています(1)。これは文字通り(健全な)精神の核を定義してみようという試み。やや抽象的でわかりづらいのですが、本文と原書を参考にまとめたものをお目にかけます。ダニエル・ゴールマンのEQコンピテンシーの体系にやや近いですね。
- 【自己認識 (Self-awareness)】 アイデンティティ、目的、意味・意義、世界の真実、自分らしくあること、生きるに値する人生を築くこと、自分の可能性を実現させることなど。人生の差し迫った問題に対する洞察を得るために、沈思と内省を伴う。
- 【自己主体感 (Sense of agency)】 自分の欠点や不完全さを受け入れ、自分の人生では自分が主人公なのだと認識すること。
- 【自己調整 (Self-regulation)】 自分の感情、思考、行動に対する理解とコントロールの能力。
- 【自己動機づけ (Self-motivation)】 自分のたどる道のりが、自らのもっとも奥深い願望の実現につながるという期待感。
- 【社会的認識 (Social awareness)】 関係性が人間の精神性の成長に決定的な役割を果たすという認識。他人が、異なる価値観や、信念や、習慣を持つ権利があると認識する。自分自身の信念をあきらめることなく、他人の違う考え方に対して十分な配慮を行い、オープンであることを示す。
スピリチュアル・コア(総合的兵士健康度プログラム) – *ListFreak
枠組みの確かさを評価しやすいよう、思いきりひらたく言い換えてみます。
自分を知る。自分で決める。自分をコントロールする。自分を動機づける。他人を大事にする。
冒頭の事例に戻ります。虐殺の当時者は5要素すべてがシャットダウンしていた、「人でない」状態だったかもしれません。しかしトンプソン上級准尉は上空からの発見者であったがゆえに、様々な葛藤に襲われたと思われます。もしかしたら「見なかったふりをしようか」という衝動に襲われたかもしれません。それを乗り越えて「自己認識」に基づいた判断をするには「自己調整」力が必要です。そして自分の選択が正しいと「自己動機づけ」を行い、人任せにせず「自己主体感」をともなって決める。
こう考えてみると、もっとも難しいのはやはり「自己認識」ですね。虐殺を目撃したときに准尉が問われていたのは、ほぼ「自分は誰なのか」という問いに等しく、必要に迫られてから考え出せるようなものではありません。
第一項目には「人生の差し迫った問題に対する洞察を得るために、沈思と内省を伴う」とあります。肉体の健康維持に運動が欠かせないように、精神のトレーニングも日頃から必要そうです。何しろ「天の声」の代わりですから。
(1) Pargament, Kenneth I., and Patrick J. Sweeney. “Building spiritual fitness in the Army: An innovative approach to a vital aspect of human development.” American Psychologist 66.1 (2011): 58.