カテゴリー
コンセプトノート

396. 確信しているが、頑なではない

増幅仮説

学術誌で「説得における、認知および感情の一致効果」(1)という論文タイトルを見かけました。素人が要約部分をつまみ食いしながら学んだ内容なので粗っぽい紹介になりますが、経験に照らして頷けるところがあったので共有します。

この話をするためには、まず2008年に提出された「増幅仮説」について紹介しなければなりません。やはり論文(2)の要約をかいつまんで訳します:
人は、あることについて確信(3)を強く持つほど、その態度は頑なになり、説得されづらくなる。これは広く受け入れられた説で、著者は結晶化仮説と呼んでいました。増幅仮説はこの一般論の修正を試みるもので、確信が確信を結晶化していくというよりは、「確信の高まりは、それが思考・判断・行動に及ぼす効果を増幅する」というのです。

冒頭の論文は、この増幅効果を拡張する内容でした。簡単に言えばこういうことです。論理的な(4)確信が強まると、感情的な説得は効きづらくなる。しかし論理的な説得に対してはオープンネスが高まる、つまり考えを変えるにやぶさかではなくなる。逆もしかりで、感情的な確信を強めた人は、論理的な説得には応じないが、感情的な説得にはむしろ応じやすくなる。

確信しているからこそ、オープンになれる

ちょっと抽象的ですが、事例で考えればもっともな結果に思えます。たとえば、X国市場には進出すべきでないと確信しているAさんがいたとします。Aさんが確信を強めるにつれ、それは再帰的に強まっていって、いかなる説得をも受け容れなくなる……というわけでは、必ずしもないですよね。もしAさんの確信が主に論理的な判断、たとえば経済性によるものであれば、Aさんが納得するだけの論理的な理由づけを示すことで、Aさんは考えを変えるはずです。なぜなら、Aさんが確信を持っているのはX国に出るべきかどうかという結論ではなく、論理の正当性なのですから。
逆に、もしAさんの確信が主に感情的な理由、たとえば「X国の政策には倫理的に許せないものがある、そんな国で商売をしたくない」というところから来るものであったとしたら、どうでしょうか。少なくとも、ファイナンス面での見通しを語っても効果は薄いでしょう。

増幅仮説は、Aさんが反対している理由を支持することによって、賛成に転じてくれる可能性が高まることを示しています。つまり、X国市場への進出がAさんの倫理や正義にかなうシナリオを提示できれば、Aさんはオープンに応じてくれるはずということです。たとえば「もし、許せないのは政治であってX国の国民一人ひとりが憎いわけではないというのなら、ビジネスを通じて国民に直接働きかけることができる好機といえないだろうか」といった観点で考えてみてもらうといったことでしょうか。

頑な相手、頑なな自分との付き合い方を考える

確信が確信を結晶化していくわけではないという考え方は、頭の固い人、凝り固まっている人など、いわゆる「頑なな人」との付き合い方を考えるヒントを与えてくれそうです。われわれがある人を「頑な」と評するとき、頑ななのは実はわれわれのほうであって、その人が何に対して確信を持っているのかを理解しようとしていないだけなのかもしれません。

また、わたし自身頑固なところがあるといわれます。意見を変えないから頑固といわれるわけですが、何について確信を持っているから自分の意見を変えたくないのか、その源を自分なりに探ったり、相手と共有していく姿勢を示すことで、自分が重視しているものを損ねることなく意見を変えられるかもしれません。


(1) Clarkson. J. J. et al. (2011). Cognitive and Affective Matching Effects in Persuasion: an amplification perspective. Pers. Soc. Psychol. Bull., 37, 1415-1427. (本文の日本語タイトルは勝手訳です)
(2) Clarkson. J. J. et al. (2008). A new look at the consequences of attitude certainty: the amplification hypothesis. J. Pers. Soc. Psychol., 95, 810-825.
(3) “attitude certainty”を直訳すると「態度の確信」となります。ただ、心理学用語としての”attitude”は、われわれが一般的に使っている「態度」とは似て非なる概念で、正確に理解して説明するのが難しかったので、”attitude certainty”に対して「確信」という訳語を充てました。「態度の確信」よりはこちらのほうが分かりやすい意訳ではないかと思います。
(4) 引用元では”cognitive”でした。「認知的な」と訳すべきところですが、これも分かりやすさを考えて「論理的な」にしています。