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コンセプトノート

636. 生産的に目をそらす

自縄自縛からの脱出

問題を解決するためには、ふつう問題の原因を探します。しかし原因の追求が原因を固定あるいは深化させてしまう、やっかいな問題もあります。前向きになれない・自己肯定感が持てないという心理的な問題がその典型。たとえば仕事で失敗をしたとします。何らかの分析を経て、どうやら自己肯定感の低さが原因らしいという結論に達しました。

では自己肯定感を高めれば問題は解決するはずだ、というのは自己肯定感の高い人の発想。自己肯定感の低い人は、自分を肯定できないのが問題の原因と知ると「ああ、やっぱり」と、ますます自分を肯定できなくなります。

自己肯定感を高める鍵は自分でなく他人をリスペクトすることだ、と説く水島 広子『自己肯定感、持っていますか?』(大和出版、2015年)に、「生産的に目をそらす」という印象深い言葉を見つけました。

「自分はダメだ」と決めつけている限り、自分をリスペクトすることはできません 。
 だからこそ、そこから生産的に目をそらすためには、「決めつけを手放し、他人を無条件にリスペクトする」という習慣をつけることが案外役に立つのです。

これはソリューション・フォーカスのアプローチです。問題解決の常道は、「厳しい現実から目をそらすな、直視せよ」でしょう。しかし先述のような底なし沼構造を持つ問題に対しては、あえて原因から「“生産的に”目をそらす」ことで沼に引きずり込まれることなく埋め立てられる、というわけです。

さすが肯定の本というべきか、「目をそらす」の肯定的な用例を初めて見た気がします。4か月前に本書を読んだとき、思わずメモをして反芻していました。

問題の「原因を直視する」でも「原因から目を背ける」でもなく、「目をそらす」という塩梅がいいなと感じたのだと思います。「目を背ける」はイヤなものとして見ないようにするニュアンスですが、「目を逸らす」は対象を認識しつつ、もしかしたら視界の端に置きつつ、視線を他に向ける感じです。しかも「生産的に」、つまりそれによって良い結果を得ようという前向きな意志を込めての行動です。

原因に立ち向かわなくても原因を解消する方法はある

何かに囚われて発想が広がらないとき、「ここは生産的に目をそらしてみるか」というのは、視点を変える合い言葉になるかもしれません。

先日ある研修でおうかがいした企業での体験を、事例として紹介できそうです。その企業は大きな統合をやったばかりで、社内の役割分担や業務ルールがまだ徹底されていません。そんな状況ですから、労働量の超過に苦しむ人たちが自分の仕事に関わる問題を分析していくと、ほぼ全てが組織的・構造的な要因になっていきます。それは正しい分析なのですが、根深い原因を直視することで目の前の仕事への意欲が下がってしまっては本末転倒です。

もちろん、会社も新しい組織に合った構造を実装するプロジェクトを進めています。ただどうしても数年がかりにならざるを得ません。そこで、そちらへの問題提起も視界の端に置きつつ、今日は自分が影響を及ぼせる範囲の改善に集中してみようと提案してみました。

たとえばこの組織では、役割の分担が不明瞭なので仕事の割り込みが多く発生しています。本来は組織の問題として解決されるべきですが、解決までには時間がかかってしまうのも事実。では当面は役割分担があいまいなままとして、自分が影響を及ぼせる範囲でできることは何かないか。そう考えてみると、意外なほどアイディアが出てきました。

割り込む前にこういう配慮をしようとか、割り込まれたらこう対応しようとか、基本的な工夫が中心です。でも、そもそも基本的なコミュニケーションさえ怠っていた、諸々の問題をすべて組織の統合のせいにしてしまい思考停止に陥っていた、という気づきもありました。

そういった議論を聞いているうちに、この当事者どうしの工夫や配慮が、現場からの問題提起として大きな問題解決、たとえば業務ルールづくりにも影響を及ぼすイメージが見えてきました。大きな問題から目をそらしつつも、それが視界の端に置かれていたことで、小さな試行とのつながりが見えたのかもしれません。