「決めっ放し」を防ぐには
経営戦略の研究者である清水勝彦博士は、「決めっ放し(決めたことの評価・見直しの欠如)」を「組織の経営意思決定に見られる5つの病状」の1つに挙げています。 われわれは決めるまでには悩む一方で、決めた後の振り返りには正当な労力を費やしていないようです。 たとえば、現在*ListFreakには「意思決定」でタグ付けされたリストが30ありますが、決めたことの評価に使えるリストは1つだけでした。大部分は、決めるために集めるべき情報、決める手順、決める際の判断基準などを教えてくれるリストなど、「決めるまで」に使うリストです。
収集者たるわたしが無意識のうちに選り好みをしている可能性を考慮に入れても大きな差です。
なぜ決定を振り返らないのか。意欲・知識・能力の枠組みで考えてみます。 振り返りが意欲をかき立てる仕事でないのは明らかそうです。何かを決めて実行するよりも、後から振り返って反省する方が好きだという人に会ったことがありません。 知識が足りないという理由もありそうです。決定の振り返り方を知らない・考えられるけれど面倒ということです。 能力は、あまり問題にはならないでしょう。決定を振り返るということは、まがりなりにも決定し実行してきたわけです。その遂行力を振り返りに使えるはずです。
そこで、さまざまな局面で使える、決定を振り返るための枠組みを一つ持っておけば、面倒な振り返りへのハードルが下がるでしょう。もしかしたらそのうち振り返りが楽しくなるかもしれません。
決定を振り返るフレームワーク
決定には、決定までのプロセスがあり、実行したあとの結果があります。結果からプロセスを改善することが振り返りの目的なら、両方を評価すべきでしょう。
結果から決定を振り返るとき、客観的な正しさと主観的な満足度の両方を評価すべきです。たとえば利益というものさしは客観的ですが、理念というものさしは主観的です。個人的な決定においては主観的な満足度のほうが重要な場合も多いでしょう。どちらをどれくらい重視すべきかは、決定の目的(何のために決めたか)と対象(何を決めたか)に依存します。
とすると、決定を振り返る観点は三つあります。
- 規範的な観点(決定に至ったプロセスが合理的に説明可能か)
- 客観的な観点(結果と照らし合わせて正しかったか)
- 主観的な観点(結果に満足しているか、後悔が少ないか)
決定を振り返る3つの観点 – *ListFreak
規範的な観点とは、決定に至ったプロセスが合理的に説明可能かという観点です。人には後知恵のバイアスがあって、結果が出てからではつじつまを合わせてしまいがちなので、決めるときにはメモを残しておくのがよさそうです。
もし直感で決めるのが合理的ならば、直感で決めるべきです。面白いことに、この三か条を引用した元の論文のテーマは、無意識化での意思決定でした。複雑な決定においては、意識の仕事は情報収集に限定し、決定は無意識にまかせたほうがよいというのです。これを規範とする人ならば、十分に情報収集を行い、睡眠を取るなどして無意識を働かせ、得られた結論に従って決定できたのであれば、合理的に説明できたことになるでしょう。
客観的な観点とは、結果と照らし合わせて正しい決定と言えるかという観点です。ここでは後知恵をフル活用して、到達できた最高の結果とそれを導く最高の決定は何だったかを考え、実際の決定と比較します。
主観的な観点とは、結果に満足できているか、後悔が少ないかという観点です。反省はするが後悔はしないようにしているという人は、主観的な反省点はないかと問えばよいでしょう。
この観点から考えたとき、何が出てくるかはわかりません。規範的観点からも客観的観点からもよい決定だと振り返れてもなお、主観的には満足できないということはあります。
自分なりに考えて仕事をお引き受けして、結果も良かったものの、何か心にモヤモヤしたものが残る案件がありました。規範的・客観的にはOKなのですが、主観的には会心の決定とは言えません。
よく振り返ってみると、実施条件にすこし不安があったことを思い出しました。結果がよかったので忘れていたのです。もしもう一度同じ案件を手がけるならば、条件をきちんと詰めておいたほうが安心できます。
モヤモヤは、決め方(規範)を改善すべきというシグナルだったということです。