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コンセプトノート

361. 本に私淑する

『もしドラ』は私淑本

ベストセラーになった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(以下『もしドラ』)では、甲子園出場という高い目標を掲げた主人公の高校生が、繰り返しドラッカーの名著『マネジメント』をひもとき、示唆を得て、次の一歩を見出していきます。

読みながら「久しぶりに“私淑”の楽しさを教えてくれる本を読んでいる」と感じました。私淑とは、直接教えを受けていない人を師とすることです。直接の対話はなくとも、その人の言動から学んでいくことはできます。私淑の対象は特定の「人」であることが一般的でしょうが、『もしドラ』の主人公のように一冊の「本」に私淑することもできます。

私淑する本をどのように選ぶか

多くの場合、本は「個人」の生産物です。したがって著者の世界観が著書を貫いています。そのような一貫性があるからこそ、いわゆる「著者との対話」が可能になるわけです。世界観の見えない本には私淑もできません。
すると、世界観が見え、その世界観に共感できる本が「私淑本」の最低条件になるでしょう。万人にお勧めの本はないでしょうが、ドラッカーを繰り返し読むという知人は少なくありません。わたしも私淑とまではいかないにせよ、「これについてドラッカーは何と書いていたか」という疑問を携えて著作を読み返すことがよくあります。訳者の上田惇生氏の文章も締まっていて読みやすく感じます。

今年見つけた「私淑本」はエドワード・デシとリチャード・フラストの『人を伸ばす力』です。共著ではありますが、そこは都合よくすべてをデシ先生の言葉として読んでいます。またそう読めるだけの一貫性があります。

この本のテーマは自発性です。たまたま今年関わった人材開発プログラムの多くに「自発性」がテーマとして含まれており、参考書として読みました。著者の思慮深さと語り口の穏やかさ・丁寧さ(これは訳者の貢献も大きいと思います)に引かれ、一気に「私淑本」となりました。

どのように私淑するか

私淑に「正しいやり方」があるとも思えないので、ふたつの事例を挙げることにします。

ひとつめは『もしドラ』です。主人公は当初勘違いして『マネジメント』を手に取ります。しかし本に書かれていることをひとつひとつ自分の問題に引き寄せて理解し、実践していくうちに信頼を深めて「この本に絶対答えが書いてある」という思いで本を読み返すようになります。

ふたつめとして、わたしの今年の経験を振り返ってみます。『人を伸ばす力』を読み、そこから学んだことを研修プログラムなどに反映させました。しかし当然ながらわたしにはわたしの考えがあります。様々な人から影響も受けます。現場では思うように事が運びません。結果として、自発性についての考えも変わっていきます。

いっぽう、著者のメッセージは変わりません。なにしろ活字として刻まれてしまっているのですから当然です。その変わらぬメッセージを、すこし間を空けて受け取り直す、つまり読み返すことで、自分の考えの変わり具合に気づけます。理解の浅さに気づくこともあれば、進歩に自信を持てることもあります。

今年のうちにも「デシ先生は何といっているか」という思いでページを繰るかもしれません。しかしそれよりも、今の案件が一段落する来春くらいに再通読する機会を楽しみにしています。それまで自分が学んできたことについての発見が、よきにつけ悪しきにつけ、必ずあると思っています。