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コンセプトノート

326. 未来をしっかり記憶する

未来に関する記憶

「これから○○をしよう」という決意や計画も、脳の処理としては「記憶」であるという文章に興味をそそられました。

エピソード記憶は、過去にさかのぼるという意味で、「反省的な記憶(リトロスペクティブメモリ)」であり、過去に体験したエピソードの記憶ですが、「これから何をしようとしているのか」の記憶は、未来への記憶、つまり「展望記憶(プロスペクティブメモリ)」と言ってよいでしょう。この記憶には、将来の行動のプランニングとその遂行の記憶が含まれます。
苧阪 直行 『心と脳の科学』(岩波書店、1998年)

ざっと検索してみると、展望記憶ないし展望的記憶という名称が一般的に使われているようです。

遠い未来の記憶としてのビジョン

興味深いことに、一般的な記憶の分類(下図、『心と脳の科学』から引用)では、過去の記憶と未来の記憶は区別されていません。学術用語としての「展望的記憶」は、比較的近い将来の記憶を指しているようですから、ワーキングメモリに格納されるのでしょう。しかし、遠い将来の記憶、つまりビジョンはどのように脳に記憶されるのでしょうか。

                  記憶              
        ┌────┼─────┐    
        │┌ワーキングメモリ┐│    
        ││                ││    
      長期記憶            短期記憶  
        │                          
        ├─────────┐      
    陳述的記憶          手続き的記憶
        │                  │      
        ├────┐        │      
エピソード記憶  意味記憶  技能記憶  

目標設定の本には、ビジョンを明確に描け、それが実現したときの様子をできるだけ具体的に想像せよ、すでに目標を達成したかのように振る舞え、などと書かれています。
スポーツ選手は、イメージトレーニングをします。対戦競技であれば、こう来たらこう返すとか、未知の相手に対する振る舞いを細かく想像します。ビジネスパーソンも同様です。こんな質問が来たらこう答えよう、敵対的な態度を取られたらこう出よう、などとシミュレーションをします。
それらすべては、いってみれば未来の記憶です。それらは、どこにしまわれているのでしょうか。実際の経験と想像上の経験は、どのようにしまい分けられているのでしょうか。

過去の記憶と未来の記憶は、あまり厳密に分かれていないのではないでしょうか。少なくともそう仮定することで、ビジョニングやイメージトレーニングの効果がよく説明できるように思います。ビジョニングは架空のエピソード記憶を、イメージトレーニングは架空の技能記憶を、われわれに植え付けようとしているのではないでしょうか。
それらがあまりにも明確になると、もはや架空の記憶とはみなされなくなる。実際の知識や技能として取り出すことができる、本物の記憶になる。そのようなメカニズムがあるように思います。

未来の記憶は、アイデンティティーの一部でもある

引用した本には、もう一カ所興味深い記述がありました。展望記憶は、われわれのアイデンティティーを構成する要素でもあるというのです。

 自分であることの認識やアイデンティティーも、自分についての記憶によって可能になります。自分は誰であるのか、どこから来たのか、これから何をしようとしているのか……すべて記憶がかかわります。

アイデンティティーというと、なんとなく国籍や人種、性格、ものの見方といった、簡単には変えられない要素によって構成される、半固定的なものだという印象があります。実際、そうコロコロ変えられるものではないでしょう。
しかし「これから何をしようとしているのか」がアイデンティティーに含まれるのであれば、アイデンティティーの一部は自分で選択できるということです。

このように考えてくると、「一年の計」には数日をかける価値がありそうですね。

(参考)
Prospective memory – Wikipedia, the free encyclopedia