「明日のことで苦労する」
「明日のことで苦労する」という文を見かけてハッとしたので、ノートにメモしておきました。ところがうっかりして、出典をメモし忘れてしまいました。手がかりは2009/10/22という日付だけ。手近な本を探しても、PCの中やネットを検索しても、見つかりません。おそらくどなたかの信条だったと思うのですが、仕方がないので出所不明のままノートを書くことにします。出典が見つかったら追記します。
この言葉にハッとしたのは、ふつうは逆に「明日のことを思いわずらうな」と言われるからです。これは聖書の言葉だそうですね。
明日のことを思い煩うなかれ。 明日のことは明日思い煩え。 一日の労苦は一日にて足れり。
『新約聖書』−マタイによる福音書(マタイ伝)第6章34節
しかし考えてみると、「明日のことで苦労する」といっても「明日のことを思い煩え」と言っているわけではありません。「明日のことで(今日)苦労する(ようにしよう)」と補ってみると、「今日の苦労の内容はどうか?」という内省を促してくれる言葉であることに気がつきます。
「苦労」というと「若いときの苦労は買ってでもしろ」「艱難辛苦 汝を珠にす」といった言葉も浮かんできますが、これらは「苦労は報われる」と言っているにすぎません。「明日のことで苦労する」は、苦労の内容というか質に意識を向けさせてくれます。
そう考えると、意味深長な言葉です。
今日の苦労を「明日のこと」と「昨日のこと」に分けてみる
いまの自分の苦労を、「明日のこと」と「昨日のこと」に分けてみると、どうなるか?これは、いわゆるメタ認知ですね。
「明日のこと」とは、言い換えれば「明日につながること」「将来への備え」でしょう。将来報われるかもしれないという期待に対して苦労しようということです。
「昨日のこと」を「明日につながらないこと」と解釈すれば、過去の失敗の尻ぬぐいや、準備不足から来る後手後手の対応といった苦労が該当しそうです。
ここで「苦労」を「仕事」に置き換えて、たとえば一週間単位で自分の仕事を「明日につながる仕事だったかそうでないか」で色分けをしてみると、発見がありそうです。「どうも閉塞感を感じる」「最近面白くない」と感じるときは、「明日につながる仕事」比率が下がっているのではないでしょうか。
さっそく、最近の仕事をこの軸で振り返ってみました。明らかに「将来のための仕込み」といえる一部の仕事を除いては、かなりの仕事が「なんとも言えない」というか「なんとでも言える」ゾーンでした。要するに「解釈次第」なのです。
たとえば、仕事の不手際を指摘されて成果物の修正をした仕事も「昨日のこと」とは限りません。仕事の質を高める貴重なフィードバックをいただいたと思えば、過去の成果物の修正は将来の仕事のための練習と捉えることもできます。
また、ある案件をお断りするために時間(と精神的なエネルギー)を使いましたが、これも将来のために自分の時間を確保したと捉えれば、「明日のことでの苦労」と解釈できます。
「物語を書き直す」エクササイズとして
「なんとでも言える」のであれば、振り返っても意味がないように思われるかもしれません。しかし、そうでもありません。なんとなくこなした仕事に新しい意味を与えることで、閉塞感を充実感に変えることができそうです。以前、「人生に消しゴムはあるのか」というノートで「過去は変えられる」というテーマについて考えましたが、まさに過去を変える(『クリエイティブ・チョイス』の言葉でいえば「物語を書き直す」)ためのエクササイズであるように思います。
また「なんとでも言える」とはいえ、取り繕いようのない「昨日のこと」な仕事(=明日につながらない仕事)も実際にはあります。もともと引用元(冒頭で説明したとおり、明示できなくてすみません)では、そういう仕事を識別して減らしていこうという意図が主であったと思います。
さらに、もし積極的に「明日のことで苦労する」ようにしていたら、もっと面白いことができた可能性もあることに気がつきました。最初の例でいえば、「この修正を将来につなげられないか?」と考えていれば、「修正ついでに、こんなこともできますが……」という提案をする余地もありました。そこまでいけば、「不手際の後始末」に「顧客との関係維持・強化」という意味を加えることもできました(うまくいくかどうかは分かりませんが)。
問題ではなく、機会に集中する
ここまで敷衍してくると、「明日のことで苦労する」という言葉は、「機会に集中せよ」というドラッカーの言葉の分かりやすい言い換えになっていることに気がつきます。過去に「正念場は迎えるもの、修羅場はくぐるもの、土壇場は避けるもの」というノートで引用していますが、再度引用します。
ピーター・ドラッカーの言葉でまとめれば、「大きな成果を出す人は、問題に集中しているのではなく、機会に集中している」ということである。彼らは機会に時間という餌を与え、問題を餓死させようとするのだ。つまり、彼らは予防的に物事を考えるのである。
『7つの習慣』