数寄雑談《すきぞうだん》という珍しい言葉を目にしました。
『日本の茶道を習う人たちは、数寄雑談という考え方を学びます。客の心得として、茶室では室内にあるもののことしか話してはいけないのです。』
数寄とは茶道を指します。数寄雑談、つまり茶事の最中に交わされる会話には、こんな暗黙のルールがあるのです。話していけないことは、たとえばどんなことか。続けて引用します。
『たとえ話しぶりが丁寧であっても、ニュースや、社会的・政治的な出来事や、
個人的な問題を話題にするのはご法度です。暑さについて不平を言ったり、な
んらかの心地の悪さを訴えたりしてもいけません。』
ネットで検索してみると、こういった雑談(特に引用部前半のような内容)は世事雑談というようです。なぜ、世事雑談はダメなのか。「風流でないから」くらいの意味合いだと思って読み進めると、大きく裏切られることになります。
『客が招かれるのは、そんなことのためではなく、その瞬間に存在しているものの細かなところ、すなわち、床の間の掛け軸や、花器に生けられた花や、美しく点《た》てられた苦味のある抹茶に合わせて出される菓子の種類に心を傾けるためなのです。』
ハッとさせられました。まさしく禅ですね。今・ここに意識を傾注する精神で場をともにする人びとの話題は、自然と今・ここにあるものになるわけで、ことさらに「それしか話してはならない」というのは、おそらく後で付け加えられた心得でしょう。
ここまで(とこれから)の引用元は、パトリシア・ライアン・マドソンの『スタンフォード・インプロバイザー』です。著者は、茶道を含むいくつかの芸術は『目の前にあるものに意識を集中するという考えのもとで育まれた』と言い、冒頭の数寄雑談の話を始めました。
目の前にあるものに意識を集中することが、なぜ重要なのか。著者の回答は、数ページ手前に提示されていました。
『人生の質は、周囲に目を凝らすという本章のルールと直接結びついています。人生を左右するのはいかにセンサーを働かせるかであり、何に意識を傾けるかによって、自分が世界をどう経験するかがおよそ決まるのです。』
意志決定力強化のための基礎体力作りとして、いわゆるマインドフルネスのトレーニングを組織でどう実施するか、あれこれ考えていたのですが、ひとつ良いヒントを得たように思います。グループで、いま机にあるものとお互いの見えている部分(だいたいは胸から上)についてのみを話題として雑談してみたら、どうでしょうか。相手のペンに見える○○展示会の字、なぜか欠けている(のに着けてきている)アクセサリー、ノートの取り方の工夫など、ちょっとしたものから相手を知るための情報がたくさん得られること(しかもそれを見逃していたこと)に気づくかもしれません。