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コンセプトノート

433. 成長を促す学習、を促す発見、を促す傾聴

先日、講義を終えたところで参加者のAさんから個別に質問をいただきました。講義の内容ではなく、講義の進め方についての質問です。

外資系企業のマネジャーであるAさんは、部下からの質問に対して、つい「上から目線」で答えてしまうのを自覚していたとのこと。Aさんは、今回の講義では講師が参加者の質問に対して上から目線で回答するシーンがなかったとおほめくださった上で、高圧的にならずに知識やスキルを教えるコツがあれば教えてほしいと尋ねられました。

その場ではモゴモゴと何かを答えましたが、あらためて週記のトピックに据えて、教えることについてまとめてみたいと思います。

ココロの作用・反作用

もし高圧的でないと見られたとすると、おそらくAさんが使っている意味での「教える」ことについては、もとより不可能なことだとあきらめているためかと思います。いくら高い圧力をかけても、新しい知識やスキルを外から浸透させることは(わたしには)できません。

モノの世界では、XがYを押すとき、同じ力で逆向きにYがXを押します。いわゆる作用反作用の法則です。ココロの世界でも、同じようなメカニズムが見て取れます。つまり他者が新しい考え方を押しつければ、押しつけられた側には自分のパラダイム(ものの見方・考え方)を守ろうとする逆向きのベクトルが生まれます。これは自分のアイデンティティを守ろうとする当然の力であり、この力がなければ、昨日のわたしと今日のわたしは同一人物でいられないかもしれません。

この反作用は強力で、催眠術だって効きません。米国催眠療法協会を創立したA.M.クラズナー博士はこう述べています。(1)

催眠にかかっていても、主導権はつねに本人の手にある。周囲で何が起きているかも完全に気づいている。そして意志決定する力も本人にある。その人が平常の意識状態でいるときに同意できない内容は、催眠状態でもやはり同意できない。即座に否定するか、催眠から目ざめてしまう。催眠によって他人がなにかをさせることはできないのだ。

「いい自分」になら変わりたい(他人になりたいわけじゃない)

自ら変わろうとする意欲の高い人であっても、自分が許容できる方向に、許容できる量しか自分を変えません。「自分を変えたい」「あの人のようになりたい」という願いは、「自分は他人になってもいい」と意味ではありません。「自分は他人になってもいい」というのは、精神的な意味での自殺といえるでしょう。自分はあくまでも自分であって、ただ「いい自分」に変わりたいのです。

意欲の母は発見

外からの押しつけはすべて反作用に阻まれると仮定すると、つまるところ「自ら変わろうとする意欲」から出発するしかありません。しかし、相手に意欲がなければ打つ手なし、というのも芸のない話です。

では意欲を喚起するのは何か。それは発見だと考えます。発見は驚きを産み、驚きは好奇心を生みます。そして好奇心が探究心、つまり新しい知識やスキルへの意欲を生む、と考えています。

発見を促すのは傾聴

では人が自分について何かを発見することを、他者が促すことはできるのか。ここがいつも苦しむところです。Aさんから質問をいただいてから『第3の案』をパラパラと読み返してみました。「第3の案」は二者択一的な発想を乗り越えた先にあり、まさに自分についての発見が必要とされています。この本で著者が強調しているのは、薄っぺらい質問力や表面的な共感でなく、心からの傾聴の必要性です。なかでも、中東和平活動に身を投じているマーク・ゴーピン博士の言葉が印象的でした。(2)

『誰かの感情にパラダイムシフトを起こさせたいなら、その人が戸惑うほど、その人の話に本気で耳を傾けなければなりません。(p510)』

教えることは学習を促すことであり、学習の目的は成長です。成長とは自分のパラダイム(ものの見方・考え方)を変えていくことといっていいでしょう。つまり教え手は学び手が「戸惑うほど本気で」耳を傾けてもらえる環境を作らねばならないことになります。

……いまの講義の設計をすべて見直したくなってきました。自信を持ってAさんに回答できる日は、まだまだ先のようです。


(1) A. M. クラズナー 『あなたにもできるヒプノセラピー―催眠療法』(ヴォイス、1995年)

(2) スティーブン・R. コヴィー 『第3の案』(キングベアー出版、2012年)