感情的にならないために感情を無視する、では十分でない
あまり詳しく書けないのですが、Aさんの仕事ぶりを上司のBさん(ボスのBだから覚えやすいですね)が観察し、フィードバックする、というシーンがありました。
Bさんは表情が動かない方で、Aさんの仕事ぶりをどう評価しているのか、うかがい知ることができません。
一段落したところで感想を聞いてみると、Aさんの思慮の浅さについて厳しい評価を下されました。部下が自分の望むように動いてくれない苛立ちが伝わってきます。口の端の歪み加減からして、若干の軽蔑すら感じられているようです。
苛立ちがすぐ怒りの導火線に着火して爆発してしまうタイプの上司もいますが、Bさんはそうではありません。「おまえはここができていない」と冷静・的確に指摘をします。ただし、やや蔑むようなトーンは隠せません。
Bさんご自身はご経験も長く、速く深く考える力のある方です。したがって、ご自身の期待レベルとAさんの現在地には大きな隔たりがあることも理解なさっています。Aさんの仕事ぶりに強い不満を感じているのに怒りを爆発させないところに、Bさんの自制心の強さを感じました。繰り返し襲ってくるネガティブな情動(なぜ私のようにできないんだ!)をうまくやり過ごす術を身につけておられるようです。
ただ、延々とダメ出しが続くので、Aさんに同情してしまうと同時に、すこし不思議な感じもしました。Bさんの力をもってすれば、Aさんによく考えさせるための問いかけをすることも可能なはずです。なぜ上から叩くばかりで、上へと引き上げるべく手をさしのべないのでしょうか。
Bさん本人に聞いたわけではないので、ここからはわたしの推理に過ぎません。Bさんは、単に「その気になれなかっただけ」だと思います。
ネガティブな情動が持ち上がってきてしまうと、やり過ごすだけでも一仕事です。まして育成モードで考えるなど、まさに、言うは易く行うは難し。
感情的にならないためには感情的になる必要がある
この問題を考えるヒントを、『欲望について』という本に見つけました。著者の『良き人生について―ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵』がとても面白かったので、前著に当たる本書を読んでいたのです。
著者は欲望の源泉の一つである情動についてこう述べています。
『知性が情動を扱うための最良の戦略は、情動をもって情動と闘わしめることである。』
『知性は、情動を使って情動と闘わしめるだけでなく、情動を使って情動を喚起するということもやってのける。』
情動を喚起する例として、こんなエピソードを引用しています。
人工知能の研究者であるマーヴィン・ミンスキーは『心の社会』で、自分が研究に集中できないときにやるトリックのことを書いている。いま解こうとしている問題を、競争相手の研究者がもう少しで解くところだと想像するのだ。トリックはうまくいく。
Bさんの例でいえば、Aさんのできなさかげんにムッときたならば、(実践的にはまずそれをやり過ごしたうえで)望ましい行動にふさわしい情動を自分で喚起するということです。
たとえばAさんが「なるほど、そう考えればいいんですね!」と目を輝かせたり、さらには「こう考えたらどうでしょう?」という自発的な提案を生み出す様子をイメージします。もしBさんが自ら描き出したそのイメージを望ましいと感じられれば、気持ちも建設的になり、そういう発言を引き出すためにはどんなアドバイスや質問をしたらよいかを考える気になれるでしょう。
これはまさにEQ(感情知能)の4ブランチの一つである「情動の利用」という能力です。
その気になる、という能力
とはいえ、現実にBさんが「その気になる」ことを難しくする要因はたくさんあります。
ダメ出しをするのは、実は自分の賢さを証明したいからかもしれません。となると自分より劣った人をそばに置く方が安心できるわけです。目ざめたAさんが自分に突っ込みを入れてきたりすると、たちまち不快になるでしょう。それが予想できるなら、わざわざ気持ちをつくる気にはなれません。
あるいは、Bさんは実は生理的にAさんが苦手で、目を輝かせたり生き生きしている様子をあまり見たくないかもしれません。
そういったことは心の奥底で起きているので、「その気になってみよう」と思わないかぎり、本人には自覚できないものです。
自分への甘えや個人的な好き嫌いを乗り越えて、今必要な思考や行動にふさわしい気持ちをつくる。
そう考えると「その気になる」というのは、実は難しいこと。立派なビジネススキルです。
わたしも、自慢じゃありませんが「その気になれない」仕事はたくさんあります。「その気になれない」理由を探って(偏っているかもしれない)信念を明らかにしたり、それでも気持ちをつくるよう工夫してみるのは、EQトレーニングとして試す価値がありそうです。