学びの70/20/10モデル
学びに関しては、仕事や生活のすべてが学びの機会です。Center for Creative Leadershipという非営利のリーダーシップ教育機関は、〈学びの70/20/10モデル〉を提唱しています。
- 学びの70%は、実生活や職場での体験、仕事、そして問題解決によってもたらされる。どのような学び(学習と成長)の計画においても、これがもっとも重要な側面である。
- 学びの20%は、手本となる人々からフィードバックを受け、彼らを観察し、彼らとともに行動することによってもたらされる。
- 学びの10%は、正式なトレーニングによってもたらされる。
学びの70/20/10モデル – *ListFreak
何をもって学びとしたのか、それをどう測ったのか、もちろん調査者の定義があります。ここでは「学びは現場7割、お手本2割、トレーニング1割」というメッセージだけをいただいて、わたしの解釈を述べます。
何をもって「学ぶ」というのか。よく「分かるとできるは違う」といいますよね。たとえば「結論から・全体から・単純に」という、思考の優れた心得があります。しかし言葉として分かっていても、その通りに考えようと思っていても、「その場」でできていなければ、この心得を学んだとはいえません。
ということは、理解し実践しようと「意識」したことを「できる」かが、学びの基準になるはずです。日々の仕事のなかでこの心得を思い出せた割合が理想の50%、そのときに意識したとおりの言動ができた割合が20%とすれば、10%は学べたというイメージです。
トレーニングは「分かる」ためのものです。それを「できる」まで積み重ねる現場での学びが7倍というのは、経験に照らせばむしろ控えめな数字にも感じられます。
わたしは泳ぐのが好きで、「楽に・長く・速く」泳ぐという3か条を掲げて我流のカイゼンを楽しんでいます。ときどきは本や映像でフォームを研究します。「よし、分かった」と思い、プールで試してみると……ちっとも「できない」のです。自由形であれば、左手で水をかき、右手で水をかく、ただその繰り返しです。その改善がこれだけ難しいのなら、新しい考え方を身につけるときには98/2/1くらいのつもりで現場で試さなければと、よくプール帰りに考えてしまいます。
身口意の一致
「できる」を「行動」と「言葉」に分けると、学ぶとは「行動」と「言葉」を「意識」と合わせようとすること、といえます。行動と言葉と意識、この3か条は仏教の言葉で身口意(しんくい)の「三業(さんごう)」と呼ばれます。
わたしの尊敬するある先輩講師は、講壇に立つこころがけを尋ねられて「言行一致」を挙げていました。学びの実践者としてふるまい、自分ができないことは教えない、という自戒の言葉だそうです。
わたしもその真似をして、講師役を務めるときは〈身口意の一致〉を思い出すようにしています。とはいっても先輩ほど自分に厳しくあろうとすると、仕事ができなくなってしまいます。せめて「分かっていても、できない」ことを認めたうえで、壇上にいる間だけでも意識したことを行動と言葉で体現する努力をしたいと考えています。参加者にとっては学びの1割を得るトレーニングの時間が、講師にとっては学びの7割を得る「現場」なのですから。