カテゴリー
コンセプトノート

568. 変えられないものと変えられるものを見分ける(2)

理不尽な絶滅

アメリカの古生物学者デイヴィッド・ラウプは、著書『大絶滅―遺伝子が悪いのか運が悪いのか?』で、種の絶滅を次の3つに分けて論じているそうです。

  1. 弾幕の戦場(field of bullets)】 生物がどれだけ優れているかとか、どれだけ環境に適応しているかといったこととは関係のない絶滅。運が要因。
  2. 公正なゲーム(fair game)】 同時に存在する他の種や、新しく生じてきた他の種との生存闘争の結果として起こる絶滅。遺伝子が要因。
  3. 理不尽な絶滅(wanton extinction)】 前2者の組み合わせ。生存能力(遺伝子)を競うゲームのルールが運によって変更されたことによる絶滅。

種が絶滅にいたる3つのシナリオ*ListFreak

「そうです」と伝聞形で書いたのは未読だから。吉川 浩満『理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ』でこの3類型を知りました。

「弾幕の戦場」は、たとえば隕石の衝突によっていきなりもたらされるような絶滅。「公正なゲーム」は、生存闘争に破れた結果としての絶滅。現生人類に敗れたとされるネアンデルタール人の例が挙げられています。「理不尽な絶滅」とは、たとえば恐竜の絶滅。恐竜は隕石に当たって絶滅したわけではなく、隕石の衝突によって生じた変化(気温の低下や食物連鎖の断絶)に適応できず絶滅したとされています。

あとでラウプの著作にも目を通しますが、きっと前二者のような純粋なケースはまれで、大部分は「理不尽な絶滅」だろうと思います。

理不尽さを認める

種が繁栄するか絶滅するかは、運と遺伝子という2つの因子に左右される。それは、個体のレベルでも同じです。すなわち個人のキャリアも、運(変えられないもの)と行動(変えられるもの)という2つの因子に左右される。ならば、その理不尽さに向き合うために「静穏な心のための祈り」(ニーバーの祈り)が役に立ちます。「変えられないものと変えられるものを見分ける」から引用します。

神よ、我に与えたまえ。
変えられないものを受けいれる落ち着きと、
変えられるものを変える勇気と、
それらを見分ける賢さを。

この「賢さ」を探して得られた知見の一つが、ストア派のものの見方でした(「現在は過去か未来か」)。簡単に言えば、起きたことはすべて受け入れて(、つまり過去にしばられることなく)善き未来のために行動を選択するということです。ノートでは、これがストイックという語感とは裏腹に、朝令暮改的なラジカルな意思決定をも導く「強さ」があることを見てきました。

進化論についての解説書である本書からは、状況を自分の視点からだけでなく俯瞰的に眺めてみる大事さを改めて教わったように思います。たとえば先に挙げたように、現生人類はネアンデルタール人との生存闘争に勝ったとされていますが、著者は他の著作を引くかたちで『もっとも大きな理由は「適切な時に適切な場所にいたこと」、つまり運である』と述べています。

こういった事例を読みながら思い出したのが、三品 和広『戦略不全の因果―1013社の明暗はどこで分かれたのか』でした。いま手元にないので記憶で書きますが、この本では事業立地(誰に何を売るか)の選択をとても強調していました。企業の浮沈は経営能力よりも事業立地に強く相関していたという内容だったと思います。

事業立地が枯れてしまうと、能力のある企業であっても生き残れない。「理不尽な絶滅」に似たこのメッセージが、この本を思い出させたのでしょう。自分の小さな事業ポートフォリオを改めて見直してみたくなりました。