非属の才能
『非属の才能』という本をいただきました。くださったのは、最近『愚直に積め!』を上梓された辻 俊彦さん。起-動線で取り上げるのにふさわしい本ではないかということでした。たしかに、タイトルだけでピンと来るものがありましたので、内容を簡単に要約しながら、感じたことをまとめます。
漫画家である著者は、『実際に、楽しそうに、幸せそうに生きている人に会いに行って、そのコツを聞き(p25)』だすというインタビューを重ねています。そこで見えてきた共通点をまとめたのが「非属の才能」という言葉です。
彼らはみんな、自分の中の「どこにも属せない感覚」を信じ続けた、言うなれば”非属の才能”の持ち主だ。
少し別の言い方をすれば、「みんなと同じ」という価値観に染まらなかった人間とも言えるだろう。(はじめに)
著者は、現在の日本の学校教育や社会は、「非属の才能」を押しつぶすようにできていると主張します。
ところで、僕たち日本人がどんな教育を受けているかといえば、どんな場面でも空気を読み、協調性を持つことがいちばん優先されているような教育だ。
しかも、その多くは「協調」などではなく「同調」の圧力だろう。
「みんながそう言っている」という顔のないモンスターに逆らうと、とたんに仲間外れにされ、生きる場所を奪われる。(はじめに)
協調と同調という言葉にはハッとくるものがありました。辞書の定義とは違いますが、ここで著者が言わんとしていることをわたしなりに解釈し直すと、こんな感じになります。
協調は、一つの目的のために個々の利害を乗り越ようとする姿勢。
同調は、ただ「違わない」ということが目的化してしまった状態。
属か非属かということでなく
本は、いかにして「属化」の圧力をはねのけて(あるいはかわして)、誰でもが持っている「非属の才能」を開花させるかということがテーマになっています。著者の主張の多くは個人的な見聞だけに支えられているので、客観性という観点からは難点があります。もとより、属/非属というのはかなり主観的な基準です。しかし全体として、著者が指摘しようとしているポイントには強く共感できます。それはやはりわたしが(そしておそらくは多くの読者が)人生のどこかで、あまり深く考えずに「みんなと同じ」道を選んでしまったなという感情を持っているからだと思います。
そう考えてくると、才能を開花させるために重要なのは、属か非属かということではありません。非属であるだけでよければ、なんでもかんでも「みんなの意見」の逆を行けばいい。でもそれもまた「思考停止」です。重要なのは「自分で考えて意志決定をする」ということ。そうすれば自然と、人と同じ選択にはならないはずです。ここで起-動線のテーマにつながってくるわけです。
自分の例で考えますと、会社に属さずにミニ起業をするという選択が、サラリーマンあったわたしにとっては「非属」への大きな一歩でした。その選択は、心理的にはかなり抵抗のあるものでした。期待年収は下がります。サラリーマンの家庭に育ちましたから、信用が無くてカードが作れないとかローンが組めないというのは「屈辱」です。一方で、働く時間も子どもとの時間も確保できるとか、やりたいこととできることのマッチとか、人生の中で思い切ったリスクを冒せるタイミングだとか、そういったことを考え合わせると、その抵抗のある選択がもっとも合理的に思えました。決して「人と違う道を行こう」と思ったわけではありません。自分なりにはもっとも納得のいく選択が、たまたま非属的だったということです。
自分が無意識のうちに「同調」モードで意志決定をしようとしていないかを、意識的にチェックしていきたいと思わせてくれる一冊でした。