知覚・発見・学習、そして創造
デヴィッド・ボーム『創造性について』の副題は「新しい知覚術を求めて」。この副題が示すとおり、創造性(creativity)や独創性(originality)の源は知覚(perception)であるというのがボームの立場です。
知覚の本質は学習である。ボームはそう書いています。
人生のあらゆる段階でこの種の学習が(略)いかに重要かをどれほど強調してもし過ぎることはありません。なぜなら、学ぶという行為は(略)真の知覚の本質(エッセンス)だからです。
「この種の学習」とは、発見です。
例えば、子供は単に何かを実際に試し、そして何が起こるかを見、それから実際に起こったことに従って自分が行うこと(または考えること)を修正することによって、歩くこと、話すこと、そして自分の周囲の世界を知ることを学ぶ、ということはよく知られています。このようにして彼は、最初の数年問を驚嘆するほど創造的な仕方で過ごし、彼にとって新しいあらゆる種類のことを発見していきます。
しかし長じるにつれて、こういった発見型の学習をしていくのは難しくなっていきます。ボームはその理由を3つ挙げています。
- 間違いを犯すことヘの恐れ
- 先入見や偏見による機械的な知覚習慣
- 特定の功利的な目的のためだけにする学び
創造性を妨げる学習習慣 – *ListFreak
対象に入り込む
ボームは知覚を働かせるために、『注意深く(attentive)、機敏で(alert)、よく気づき(aware)、繊細である(sensitive)』ことが必要と説きます。
※英語は原著からの引用。文脈からすると”alert”は「機敏で」というよりも「注意を怠らず」という訳語のほうがしっくりきそうです。
過ちを恐れず、思い込みからも、目的からも離れて、ひたすらに知覚を働かせよ。これは、常に初心であれという禅の教えや、ひいては六識をただ観察せよという原始仏教の教えにもつながるように思われます。これらの教えは創造性を引き出すためではありませんが、自分自身の思考に目を曇らされるなという意味合いにおいてボームのメッセージと共通点があります。
では、知覚を働かせるためにできることは何か。これまで取り組んで来たマインドフルネスのためのエクササイズはそのまま使えそうです。
- 行為に集中する(「430. 音を立てない」「431. 見届ける」)
- 我に返る(「369. 気づきの鐘」「602. 心のホーム・ポジション」)
もう一つ、「対象に入り込む」とでも呼ぶべき行動エクササイズを思いつけます。
たとえば、わたしが最も創造性を求められるのは、目下のところ講義の最中です。もちろんできる限りの準備をして臨みますが、学びの現場は生き物です。何をどのように質問すれば理解を促せるか、その問いが常に脳裏を駆けめぐっています。
うまいことよい問いを思いつける(格好良く言えば創造できる)ことも、あればそうでないときもあります。どうすればうまい問いを創造できるかはわかりませんが、うまく行かない状況はわりと決まっています。それは「自分」が前面に出てしまうときです。
すこし前に、ある企業の経営幹部育成研修の講師を務めました。研究室の先輩が就職されていたり、以前コンサルタントとして常駐した経験があったりと、勝手ながら深いご縁を感じていた企業です。おおいに張り切って講義を行いました。
参加者の皆さんにもそんな経緯を伝え、ガンガンやった結果……一部の方から低い評価をいただいてしまいました。要するに、場を創造することができていないと宣告されたわけです。いま振り返れば、「自分」がこれを伝えたい・あれをわかってほしいという意識が強すぎて、状況や場の感情を知覚する意識が弱かったのだと思います。
冒頭の引用文を再度引くならば、子供がやっているように「何かを実際に試し、そして何が起こるかを見、それから実際に起こったことに従って自分が行うこと(または考えること)を修正する」ことができていませんでした。
人と話しているのであればその人に、問題解決に取り組んでいるのであればその問題に、しっかり入り込んで知覚のエンジンを働かせる。その決意を「対象に入り込む」という言葉に込めて、実践の場に出てみます。