ダグ・ハマーショルドの遺した日記
ハーバード・ビジネススクールで意思決定を教えるジョゼフ・L・バダラッコ教授は、著書 『ひるまないリーダー』の冒頭で、1961年に飛行機事故で亡くなったダグ・ハマーショルドという人物を紹介しています。
当時、彼は現職の国連事務総長。同年、ノーベル平和賞を受賞しています。故人への授賞は異例です。
しかしバダラッコ教授は、その卓越した業績ではなく、死後に出版された『心の内を驚くほど正直に記した日記』にわれわれの目を向けさせます。
(略)この日記は、彼が功成り名遂げた熟練のリーダーであるということをほとんど感じさせない。そこに書かれているのは、不確かなことだらけの深い霧の中で、苦労しながら懸命に努力し、深く献身する人の壮大な物語だ。
いったい、どんな本なのか。『ひるまないリーダー』をいったん脇に置き、訳出されているその日記『道しるべ』を読むことにしました。
『道しるべ』に書かれていたこと
本文は200ページ足らずの薄い本でした。ハマーショルドが20歳から56歳(没年)まで、35年以上をかけて書き留めてきた断片が並んでいます。聖書の引用なども多くありました。短めのものを引用します:
ともあれ、おまえはほかの人たちを軽蔑していながら、自尊心を後生大事に守りつつ、あいかわらず彼らの敬意を求めようとするのである。
「おまえ」は、著者自身を指しているようです。上記のような批判もあれば、次のような決意もあります。これは国連事務総長時代に書かれたもの。
おまえの義務は《……すること》にある。《……しないこと》によって救われることはけっしてありえないであろう。
また、内省だけでなく心象風景を描写したような散文もあります。最後の3年間の日記は、詩に昇華しています。
事象を記録せず、内省だけを記録する
日記というと、誰と会ったとか何を食べたといった、ファクトの集積をイメージしがちです。しかし『道しるべ』には 固有名詞や仕事中のできごとはいっさい書かれていません。長さは短くとも深い内省がつづられており、思いつきをただ書きとめたメモでもありません。
それも、現役を退いてから後世に遺すためにまとめた持論ではありません。国連事務総長という大きな責任を果たしている日々の中で、貴重な自分の時間を割いてまで深めていった、思索の記録です。
単に書き物が好きだったからだけでは、おそらくないでしょう。翌日の厳しい仕事に向かっていくために、考えて書くことが必要だったのだと思います。
さらにわたしが興味を引かれたのは、先述したように具体的なできごとが一切省かれている点です。もし単に面倒だったのであれば、たまには「誰々と論争になった」といった事実がまぎれ込んだでしょう。意図的に捨象していたとすれば、それはなぜなのか。
ここで思い出されるのが、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』です。重要人物が在職中に書いていった内省の記録という点では『道しるべ』と同じで、やはり具体的な事実は省かれています(うろ覚えですが……)。
アウレリウスはストア派の哲学者でもありました。そしてストア派は、変えられない現在や過去について思い悩まないようにしています(参考:「現在は過去か未来か」)。内省の結果として引き出した教訓や決意を、そのきっかけとなった事象とセットにして記録しておくことは、この観点で具合が悪いのかもしれません。
この仮説を検証してみたくなりました。誰に見せるものでもないので宣言する必要もありません。こっそりやってみようかと思います。