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コンセプトノート

596. その場で考えるための記憶術

記憶が人間をつくる

目を引くためにひねったタイトルが、ほんとうに面白がって読んでくれるであろう読者層を遠ざけてしまう。タイトルのせいで損をしていると感じてしまう本は、特に訳書に多くありますが、先日読んだジョシュア・フォア『ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』(エクスナレッジ、2011年)も、その一冊かなと感じました。

もっとも、原題は『アインシュタインとのムーンウォーク ― すべてを記憶することについてのアートとサイエンス (“Moonwalking With Einstein: The Art and Science of Remembering Everything”)』とわかりづらいものなので、直訳がよかったともいえません。

著者は、記憶術を実際に学ぶ1年間の過程を縦糸に、記憶術に関するあれこれを横糸に、本書を織りあげていきます。最終章は全米記憶力選手権への挑戦。そこで優勝してしまうという劇的なエンディングです。そこまでのめり込んだわけですから、記憶術についてもそれなりに詳しく書かれていますが、ハウツー書ではありません。やはり自らの遠泳を縦糸に、水泳にまつわる楽しいあれこれの知識を横糸にした、リン・シェール『なぜ人間は泳ぐのか?――水泳をめぐる歴史、現在、未来』という本とよく似た、プロのライターによる洗練された、そして楽しい読み物でした。

興味深かったのは、本のような外部記憶がなかった古代、あっても貴重で手許においておけなかった中世には、「記憶する」ことに大きな重みが置かれていたという事実でした。著者はこう述べています。
『古代から中世にかけての記憶の教科書(略)の著者たちにとって、記憶を訓練する目的は、情報にアクセスしやすくなるというだけでなく、己の倫理観を強化し、完全な人間を目指すことにあった。』

詩文をものしたり会話をしたりするときに的確な引用をすることは昔から知性の象徴とされてきたスキルです。しかし記憶は単に引用の材料を蓄えるだけでなく、次のようなものを培うと考えられていたとのこと。

  • 人格 (character)
  • 判断力 (judgment)
  • 市民性 (citizenship)
  • 敬虔さ (piety)

記憶力の鍛錬が培うもの(中世)*ListFreak

とはいえ、本書を通読しても、記憶力の向上と人格の向上がリンクしているようには思えません。というのも、記憶力選手権で競われるのは、大量の数列を覚えるといった、ある種機械的なスキルだからです。5分間で100桁以上の数字を記憶できるのは驚異的ですが、そのスキルが人格を高めるわけでもなさそうです。実際、選手権の参加者は、著者の演出もあるのでしょうが、エキセントリックな人種として描写されているように思えます。

その場で考えるための記憶術

先のリストの中で唯一ピンときたのは、記憶力が判断力を培うという部分です。

記憶力が人格・市民性・敬虔さを培うものかどうかはよく分かりませんが、判断力については、ある程度のつながりを説明できそうです。

ここ数年の研究テーマである「その場性の高い意思決定」のための切り札は、自分なりに咀嚼した、判断の基準となる言葉のリストです。たとえば、「道徳的な判断に必要な3つの義務感」では次のリストを紹介しました。

  • 【良心】個人や宗教に根拠を置くもので、完璧な道徳性をめざして人々を導くもの
  • 【一般的な道徳律】すべての人間が社会生活で持つべき義務として取り扱われる、一般的な道徳のルール
  • 【専門的基準】職業的な倫理、つまり、人の果たす役割に伴う義務と見なされる伝統的な期待

道徳的な判断に必要な3つの義務感*ListFreak

このリストを作ったのは6年近く前です。難しい判断の現場で活用できたと思えることもあれば、このリストを思い出せていたら違う判断だったかもしれないと思うこともあります。以下、リストの記憶と想起についての試行錯誤をまとめておきます。

まずは記憶戦略から。わたしにとって憶えやすくするため、第3項目の「専門的基準」を文中の「倫理」に置き換え、「良心・道徳・倫理」の三者にしました。次に三者の関係を明らかにするために形容詞を付けました。具体的には「個人的な良心・社会的な道徳・職業的な倫理」と命名しました。さらに、社会という円の中にペンを握った個人が立っているようなイラストをイメージしました。ペンを握っているのは職業人の象徴です。もちろん個人の胸には良心を表すハートマークが付いています。

一つのリストにここまで手間をかければ、憶えることは難しくありません。問題は想起戦略。どうやって肝心のときに思い出せるようにするかです。わたしにとって、良心・道徳・倫理のリストを思い出すべき「肝心のとき」とは、たとえば失敗した部下の処遇を決めるにあたって、その背景にあった個人的な事情をどう汲むかといった判断をしなければならないときです。

「肝心のとき」、つまり注意を向けるべき状況であることを意識に知らせるのは、情動システムの仕事です。たとえば暗い場所に入ったとき、「身体の中心が冷えるような」情動のシグナルを受け取って、人は警戒モードに入ります。それが意識にしっかり捉えられると不安、さらにエスカレートすると恐怖という感情になっていきます。

そのような、人類に普遍的な状況ー情動のつながりもありますが、個人が経験の中で獲得した状況ー情動のつながりも多くあります。人の経験とは、過去の状況ー行動ー帰結ー感情のセットです。そのデータベースを用い、過去悪い帰結に終わった状況によく似た状況が出来したときには、相応の情動シグナルが送られます。

この情動シグナルとリストを結びつけるのが、想起戦略の核になります。よく「怒りを感じたら○○をしろ」と言われますが、それと同じです。ただし、もうすこし微細なレベルで心の動きを捉えようということです。

とはいえ実践はなかなか困難です。心の動きを細やかに捉えるのがそもそも難しいですし、捉えられても言語化が容易ではありません。さきほどは「身体の中心が冷えるような」と書きました。感情以前の情動は、「ドキッ」「ムカッ」といった擬音語や、「みぞおちがせり上がるような」「うなじが冷えるような」といった比喩的な描写でしか言語化できず、最終的には「こういう感じ」という感覚を身体で憶えていかねばなりません。

大まかなアプローチは正しいと思いますし、いくつかの状況では効果を感じてもいますので、著者にならって実践と研究の両面を続けてみようと考えています。