偽の記憶は植えつけられる
ロンドンサウスバンク大学の心理学者ジュリア・ショウは、過誤記憶(虚偽記憶とも訳されます。英語では false memory)を研究しています。その著書『脳はなぜ都合よく記憶するのか 記憶科学が教える脳と人間の不思議』では、被験者に記憶の幻想を生じさせる社会心理学的実験のステップ、つまり偽の記憶を植えつける手順が紹介されています。
- 被験者候補から、情報提供者(本人をよく知る人たち)を教えてもらう
- 情報提供者から、候補者が11~14歳の頃に起きた動揺を伴う経験を教えてもらう
- 植え付けたい出来事を経験していない人を被験者として選ぶ
- 被験者に、情報提供者から教えてもらった過去の出来事について尋ねる。それによって自分の経験を知っている者としての信頼を得る
- 被験者に、偽の出来事を情報提供者から聞いた事実として伝える
- 被験者に視覚化など偽の出来事を思い出すための練習方法を教え、いったん帰宅させる
- 1週間後、本物の記憶を回想させた後、偽の出来事について尋ねる。その(偽の)記憶を確かなものにするよう励まし、帰宅させる。これを2回行う
- 偽の出来事の記憶について話してもらう
偽の記憶を植えつける(実験の)手順 – *ListFreak
ステップ6では、被験者は偽の出来事を(当然)思い出せません。そこで実験者は視覚化しようと助け舟を出します。
『被験者に目を閉じ、出来事がどんなものだったかイメージするよう求める。こうすることで私が記憶ではなく、想像力にアクセスさせようとしているとは、被験者は知る由もない。』
未来をイメージすることは記憶することと似ている(というか同じである)という話は、以前「未来をしっかり記憶する」というノートで採り上げました。ここで著者が述べているのは、過去の記憶も想像力で操作できるということです。
結果はどうか。著者によれば『被験者の七〇パーセント以上が、犯罪と感情的な出来事の両方で、完全な記憶を作り上げる』とのこと。事例として「友人に石を投げつけて怪我をさせたために家に警官が来た」という偽の出来事を詳細に語った被験者のストーリーが載っていました。犯罪の記憶でさえ作り上げられるという事実に驚かされます。
言葉にすると記憶が損なわれる(言語隠蔽)
先述の話を筆頭に、本書は人間の記憶の不確かさをいやというほど教えてくれます。個人的に印象深かったのは「言語隠蔽」という現象。(わたしの過誤記憶でなければ)他の書籍でも読んだ記憶があるので有名な実験だと思うのですが、顔写真を見せてから後で同じ人を当てさせる際、顔の特徴を言葉で書き留めた人の成績がそうしなかった人よりも悪かったという実験があります。
言葉にしづらいものを言語化すると、微細な記憶が損なわれる。この言語隠蔽効果は映像(写真)に留まらず、色・味・音楽、さらには地図・決断・情緒的判断などにも及ぶそうです。もともと言葉で表されていた情報を記憶した場合は例外で、言語化によって記憶は高まるとのこと。
言語化は単に記憶を損ねるだけでなく、競合する記憶を作り出すというのもハッとさせられる知見でした。言語化により、ある出来事を実際に経験したときの記憶と、その出来事を言語で描写したときの記憶の両方を持つことになるというのです。
経験を振り返るとは、自分の言葉で記憶を作り直すこと
わたしの現在の仕事(思考トレーニング)の中には、1日かぎりのものや2週間おきに6回コースのものがありますが、どちらにもかならず「振り返り」を付けています。1日限りであればその場で、複数回の場合は2日間以内に、事実(まとめ)・解釈(引き寄せ)・行動(試行案)を言語化してもらっています。
言語隠蔽の話を読んだときには、言葉による振り返りが議論や発表の記憶を損ねることになるのかと、すこし不安になりました。しかし考えてみると、学習の目的は学んだ内容を仕事や生活の場で使えるようにすることであり、かならずしも正確に記憶することではありません。むしろ言語隠蔽の力を借りて細部を捨象し、自分の言葉で取り出せるようにすることが重要で、先述の「競合する記憶」こそが成果とも言えます。
さらには、わたし自身「偽の記憶の植えつけ」的な言動があると思い至りました。問題解決や意思決定のトレーニングの際には、「こういったことは実務の中で、明確に意識していなかったとしても、考えていたはず」と繰り返し伝えることがあります。すると事後の感想などで「日頃無意識のうちにやっていたことの整理になった」という感想をよくいただきます。
そのようにして思い出してくださった「日頃無意識のうちにやっていたこと」のいくつかは、もしかしたら偽の記憶かもしれません。講師役から何回も聞かされているうちに、そんな気がしてきただけかもしれません。
それでもかまわない、と思います。それが自信になり、今日学んだスキルが明日以降の仕事や生活に活かされるならば。記憶の頼りなさを嘆くのではなく、「今」を豊かにするためにうまく使おうという発想は、著者も本文の最後あたりで述べているところです。
私たちの過去は作り話であり、私たちがなんとか確信を持てるのは、現在起きていることだけだ。これを知っていれば、この瞬間を生き、過去を重視しすぎないですむ。そして、人生最高の時は今、記憶が意味するものも今であることを受け入れられるようになる。