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コンセプトノート

571. 余命3年プロジェクト

あと3年で死ぬ。「第二の人生」はない。」というノートを書きました。「三十歳代から『自分の余命はあと三年』と思って行動してきた」という人がいたという記事を読み、ちょっと思考実験をしてみた、という内容です。『クリエイティブ・チョイス』にも収録しました。

それから11年半ほど過ぎました。この思考実験はいまも続いています。というか、半ば習慣と化しました。これだけ続けばもはや実験ではなく実践といえるかもしれません。今日はたまたま誕生日で、来し方行く末に思いを馳せるには向いていますので、この実験について感じたことをまとめておきます。

余命3年プロジェクトとは何か

余命3年プロジェクトとは何か。仕事を引き受けるとき、何かに大きく時間を使うとき、判断基準のリストに「余命3年でもやるか?」という問いを加えること。それだけです。

ちなみに、実験開始から2年もしないうちに、スティーブ・ジョブズが有名なスピーチをしました。その中で彼は毎朝鏡を見て「今日が人生で最後の日だとしても、今日やろうとしていることをやりたいか?」と自問していると語っていました。これは余命1日プロジェクトです。圧倒されました。わたしは「余命1日でもやるか?」と考えると何もしたくなくなってしまいそうなので、3年(1080日)くらいがちょうどよさそうです。

やってみて、どうか

11年半前のノートには『「健康」など、長生きのリスクに備えるための投資的な意味合いのあることが軽視されそう』と書きました。たしかに、3年後に人生が確実に終わることを前提とするなら、4年後から家族が生命保険で暮らせるように計らったでしょうし、健康も3年間の配慮だけで十分でしょう。でもそこまでリアルには考えられませんでした。やはり、これは思考実験に過ぎないと知っているので。

ただ、ものの見方に変化があったのは確かです。それまでは、平均寿命くらいまで生きるのが標準シナリオで、不慮の死を遂げるのが「もしも」のシナリオでした。余命3年プロジェクトは、この自分の思い込みに少し揺らぎを与えてくれました。「きっと3年間しか余命がないけれど、もしかしたらそれを超えて長生きしてしまうかもしれない」。そんな視点を与えてくれました。

その変化は、自分の意志決定にも影響を与えました。3年間も猶予があったのに、最後になって家族との時間をもっと持つべきだったと後悔したくありません。同時に、3年間もあったのに自分のことばかり考えて世の中の役に立てなかったとも思いたくはありません。同時に2つの人生を生きられないので3年プロジェクトを始めていなかったケースとの比較はできませんが、それ以前のスタイルと比較するならば、やはり判断の基準は大きく変わりました。よし悪しは別にして、すこしわがままになったように思います。

結局、やってみてどうだったか。このままいくと、あまり大それたことはできそうにないけど、本当に期限が切られても耐えられそうな気が、ちょっとしています。

Today is life

ここで終わりにするはずが、ランチタイムにTV番組表を眺めていたら「今日を生きる」という回のドラマを見つけてしまいました。この偶然を活かすべく、後半だけですが観てみたので追記します。ドラマでは、誤射によって命を落とした青年がいつも手紙に引用していたという言葉が印象的に使われていました。検索してみると、デール・カーネギーの言葉でした。私訳を添えて引用します。

Today is life — the only life you are sure of. Make the most of today.
今日この一日が人生だ――確かにあると信じられるのは、今日だけだ。今日を無駄にするな。

そうですね。期限がいつであろうと、”Today is life”は変わりません。