トップセールスの行動特性
知人のAさんは生命保険の会社で営業職として7年ほど働いた後、5年ほど前に独立して、個人で代理店を営んでいます。独立以前から、トップセールスの証であるMDRTの入会資格を継続して保持されているほどの優秀なセールスパーソンです。そのAさんから面白いエピソードを聞きました。
ある年の8月、Aさんは知人の紹介で、ある企業に大きな契約の提案をする機会を得ました。既に大手企業を含む数社が提案済みで、Aさんは出遅れ状態だったそうです。社長は「忙しくなってしまったから、4月に検討するよ」といってAさんの提案を預かりました。
そして4月。「あの件、どうなりましたか?」と社長に連絡してみたAさんは、他の企業が全て脱落していたことを知ります。多くの企業は、その後も毎月のように「社長、その後いかがですか?」訪問してきました。社長が「次の4月に検討する」と言ったのにもかかわらず、です。しかし年が明け、年度が改まるなかで、彼らの営業攻勢は下火になっていき、社長が言った「4月」に連絡をしてきたのは、それまで没交渉だったAさんだけでした。
「肝試し期」
企業では、毎週のように見込み顧客を評価して、受注確度の高い顧客を優先的に訪問します。その「確度」を測る物差しが、残念ながら「今四半期/今年度中に受注できる見込みはあるか?」といった感じで、売り手の都合で歪んでいたのかもしれません。その結果、社長には購入意欲があったのに見過ごされ、売上計画や毎月のノルマといった物差しで営業活動をしていないAさんだけが、見込み顧客の期待にぴたりと応えられた。そんな経緯だったのではないでしょうか。
「待つ」というのは実は難しいことで、Aさんのような個人代理店であっても、仕事が無くなってしまった時の対応は人によって大きく分かれるそうです。時間ができたので、いままで優先度「低」だったお客様(例えば「検討する」と言ったまま連絡が途絶えてしまった人)に電話でも……というのは、「ダメ」なパターンの典型で、がんばるほど客が遠ざかる悪循環に陥りがちとのことでした。たしかに、以前お付き合いのあったセールスの人からいきなり連絡が来ると「ちょっと数字が足りないのかな」と思いますよね。
「Aさんは、そういうときどうするんですか?」
「特別なことは何もしませんよ。普段通りにやります」
「何もしなかったら、干上がっちゃうじゃないですか!」
「不思議と、引き合いが来ますから」
月ベースの契約件数を見せてもらうと、10倍くらいの差があります。3週間くらいまったく仕事のないこともあるとか。しかし年ベースの数字を見せてもらうと、安定しています。しかもMDRTを獲得できるだけの高いレベルで。
「引き合いが来るのは、すでに顧客のベースを築いているからですよね?」
「それもありますが、それだけじゃなくて…」
といって、Aさんは「肝試し期」の話をしてくれました。
「ガンガン訪問して売ることもできますよ。でもそれって、売り手の都合ですよね。そうじゃなくて、お客様が必要とするタイミングを待ったほうが、結局は満足してもらえるんです。満足してもらえなければ、他の方をご紹介してくれることもありません。だから、いつかスタイルを転換しなければいけない。その時期を僕は『肝試し期』と呼んでいるんですよ」
「肝が据わっていない人は、自分の都合で動いてしまう?」
「そうですね。10倍働いたのに稼ぎは10分の1、ということになります」
誰にでもある「肝試し期」(キャリア・トランジション)
Aさんがまったくプッシュ型の活動をしないということではありません(最初の事例でも、Aさんの方から社長に連絡を入れています)。そういった活動を、自分の都合でなく、顧客にとって意味のあるタイミングで行っているということです。
簡単なようでいて、とても難しいことです。単に営業スタイルを変えるというよりは、職業観・人生観を変えるような挑戦を伴います。Aさんは、そもそもそういった移行をできる人とできない人がいて、後者の方はどんなに努力しても、残念ながら独立はできない、といいます。その部分はわたしには答えがありませんが、短期的に売上が不安定になっても動じない「肝試し期」を通過しなければならないというAさんの言葉には、強く共感しました。
キャリア・チェンジを考えている人は特に、この「肝試し期」の存在を意識する必要があると思います。キャリア開発の研究によれば、このような移行期間(とそれに伴う不安な感覚)は数年続くケースもあることが観察されています。
「肝試し期」は、しばしば自分が望まないタイミングで訪れます。自分のことを振り返ってみると、勤め先が無くなったときや、大口の顧客を失ったときが「肝試し期」であったことが分かります。そしてこれからも、やってくることでしょう。
Aさんのようなビジネスにおいては、仕事が無くなったときが「真の顧客志向に移行できるか」が試されるときです。そのとき必要なチャレンジは、動き回ることではなく、待つことです。我々も、何かがうまくいかなくなったときには「何が試されているのか?」と考えてみると、必要なチャレンジが見えてくるように思います。