人生というのは、「いい思い出」と「これからの夢」で成りたっている
人生というのは、「いい思い出」と「これからの夢」で成りたっている。
これは、『いい会社を作りましょう。』という本からの引用です。著者は伊那食品工業株式会社を率いる塚越寛 氏。「かんてんぱぱ」で知られる同社は、創業以来46年増収増益を続ける有名な企業です。
私は、人生というのは、「いい思い出」と「これからの夢」で成りたっていると考えています。「いま」というのは存在しません。時計は、一秒も止まることなく動いています。ですから、本当に正確な「いま」というのはありません。ところがなぜか多くの人が、「いま」があるような錯覚をして生きています。一秒でも過ぎさったことは、すでに過去の思い出になります。私たちは、過去の思い出と、これから起こるであろう期待の二つの狭間で動いているのです。(p79)
だから、個人も企業も夢が大事である、と続きます。
この言葉を真剣に受け止めるなら、人(あるいは企業)を評価するときに過去だけを見るのは片手落ちだということになります。
過去に成果を出してきたという事実は、もちろん評価されるべきですが、それが将来を約束するわけではない。例えば、命じられたことにただ従ってあげた成果では、数字が優れていても、環境の変化には耐えられないでしょう。
もし「いい夢」を描き、それを「いい思い出」に転化できることをもって「いい人」「いい会社」と言うならば、その夢を、またその実現への努力をこそ、評価しなければなりません。
過去の業績を問うならば、そのときどんな夢を描いていたのかをも併せて問うということです。未知の領域でもたくましく成果が出せる人かどうかは、その答えによって推測できるのではないでしょうか。
「いま」はあるのか、ないのか
上では『「いま」というのは存在しません。』という言葉がありました。「いまを生きよ」という言葉もあります。例えば田坂広志さんがよく引かれる、この言葉。
過去はない。
未来もない。
あるのは、永遠に続く、いまだけだ。
いまを生きよ。
いまを生き切れ。
これは、塚越氏のメッセージと矛盾するものではありません。
「これからの夢」を「いい思い出」に転化させるのは、何か。
それは「いま」(の積み重ね)です。それしかありません。
塚越氏の文脈ではビジョンの大切さを説くために、
田坂氏の文脈ではビジョンの大切さを説いた上で、しかし結果に囚われないために、このような表現になっています。
※実際塚越氏も『「しょせん人生二万日」をいつも胸に』という文章で、「いまを生きよ」と似たメッセージを語っています(このコラムでは省略)。