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コンセプトノート

464. 交渉はクリエイティブ・チョイスの宝庫

(ケース:Aさんの交渉)
Aさんは会社員を経て独立し、企業研修の設計・実施を請け負っています。先日、新しい顧客X社との話がまとまり、先方から契約書の案が送られてきました。そこに一点だけ、歓迎できない条項がありました。「1週間前までは延期も中止もX社の都合で可能」とあるのです。
研修は、通常1か月から1年ほど前に日程が決まります。もちろん当日(と準備日である前日)には他の仕事を入れずにおきます。直前になって実施しないと決まっても代わりの仕事を用意できるわけではなく、実質的には売上機会の損失になります。延期ならまだしも、中止は大きな損害です。したがって延期・中止の決定は早いほど望ましいし、直前の延期・中止については補償がほしいところです。

Aさんは交渉の余地を探るため、X社の担当者Bさんに事情を聞きにいきました。Bさんによれば、X社では仕事のスケジュールがよく変わり、申し込んだ研修をキャンセルする社員がいつも出てしまうそうです。結果として研修自体を延期せざるを得ないことがあるため、1週間より前に延期や中止をしないとは決められない、とのお話でした。どの業者に対しても同じ条件で納得してもらっているそうです。

(設問)
さて、ここからどのように交渉を進めたらよいでしょうか。

(解説1)
次のどちらか(あるいは両方)が交渉の中心になりそうです。
1. こちらの事情も説明し、実際の最終確定日をもっと前にずらしてもらう
2. 顧客都合による直前の延期や中止についてはキャンセルフィーの支払いをお願いする

Aさんはこの案件の重要度を考え、交渉の最終線(失ってもいい案件か、引き受ける最低の条件は何か)を引きます。そのうえで交渉の変数を洗い出し、それぞれの幅を考えます。2でいえば、直前の日程変更ほどキャンセル料が高くなるような表を作ったうえで、実施条件を詰めていきます。
……というのが通常のアプローチだと思います。わたし自身こういった交渉をたくさんしてきました。しかし、違和感を抱くことも少なくありませんでした。どこか、いただいた仕事と交渉のテーマがずれているというか、こんな綱引きあるいは陣地取りにエネルギーを費やすのはおかしいという気持ちを抱いていました。日程変更が生じると報酬の全額を補償してくれる会社もあります。文句の付けようがないのですが、それはそれでこころにわだかまりが残るのです。

実は、Aさんは解説1のようなアプローチを採りませんでした。ケースの続きをお読みください。

(ケース続き:Aさんのクリエイティブ・チョイス)
AさんはAさん側の事情や希望を率直に話しました。Bさんは心情的には理解を示してくれたものの、契約条件を変えるような社内交渉をやりおおせるのは難しいと考えているようです。
A「申し込み後のキャンセルが頻発し、結果として研修自体が実施されない。これは、御社にとって受け入れるべき現実ですか、それとも変えるべき現実ですか」
B「変えるべき現実ですね……理想的には」
A「わたしも、社員の成長に資すると信じて研修を提供する以上、実施を先送りにはしたくありません。つまりわたしたちは、社員の成長を支援するという大目的のもと、研修を予定通り実施するという目的を共有しています」
B「もちろん、そうですね」
A「いま、研修が実施されなかった場合にどうするかを話し合おうとしていました。しかしその前に、研修が確実に実施されるために、わたしにできることはないでしょうか」

Aさんはこのように話を進めた結果、社内向けの告知文書の監修と申込者へのフォローアップを提案しました。この新しい仕事の報酬は、研修が実施された場合にのみ参加人数に応じて支払われる仕組みとしました。そしてこの追加提案とセットであれば、X社の提示した条件を受け入れるという提案をしたのです。

(解説2)
通常、社員を研修に参加させるのは人事部の責任です。社外の人間であるAさんには集客の責任がない、逆に言えば手が出せないため、どうしても「開催されなかったときの補償をどうするか」という点にのみ発想が向かいがちになります。
しかしAさんにとって重要なのは、B社の人材育成に力を尽くした結果として報酬を受け取ることです。研修が中止になっても補償を受け取れることではありません。そのように目的から考えおろすと、新しい交渉のオプションが見えてきました。
Aさんが集客の段階から研修に関わることにより、うまくいけば若干の売上増が見込めますし、仮にキャンセルになってもその結果を受け入れやすくなります。Bさんにしても、研修の内容に詳しいAさんに監修してもらえれば、集客の増加が期待できます。さらにAさんとBさんには、目的を同じくする仲間という意識が生まれます。

『クリエイティブ・チョイス』を上梓してから、本を読んだり人に会ったり自分の経験を振り返るなどして、実例を収集しています(恥ずかしながら、今回紹介した事例は最後のパターンです)。数えたわけではないのですが、交渉の過程で生まれるクリエイティブ・チョイスが多いように感じています。

一般に制約や制限は創造性を高めると言われます(たとえば『「制限」が創造性を高める理由』 – WIRED.jp を参照)

交渉は両者の利害がはっきりしているうえ、期限や予算などの制約が厳しい中で行われるのが普通ですから、創造性を発揮する条件が整っているように思います。日常業務でも、期限や予算の制約を敢えて課してみることで創造的な選択肢を見つけられるケースが、たくさんあるのでしょうね。