樹の五衰
安岡 正篤『知命と立命―人間学講話』に「木の五衰」という項があります。幸田露伴が『洗心録』という本に載せた、木の衰えていく様子を人のそれになぞらえている文章を引用したものです。
せっかくなので『洗心録』にあたってみたところ、「樹の相」という項にありました。
『人長じては漸くに老い、樹長じては漸くに衰ふ。樹の衰へ行く相《すがた》を考ふるに、およそ五あり。』
と始まり、「樹の五衰」すなわち樹木が衰える五つの段階を説明しています。
- 【懐《ふところ》の蒸れ】枝葉が茂り、懐の風通しや日当たりが悪くなる。
- 【梢《うら》どまり】成長が止まる。
- 【裾《すそ》あがり】地面近くの横枝が枯れる。
- 【梢《うら》がれ】頭から枯れてくる。
- 【蠧《むし》つき)】害虫が付く。
樹の五衰 – *ListFreak
最初の項目が【懐《ふところ》の蒸れ】なのが印象的でした。枝葉が茂ることが衰えの引き金を引く。繁栄そのものが衰退の兆しでもある。なんだか易経っぽいですね。
人間の五衰
露伴はこれを人間の衰えになぞらえていて、一つひとつに短い解説を添えています。成功に安住すると成長が止まり、足下が揺るぎ、やがて枯れてくる。すると害虫も付きやすくなる。害虫の種類を面白く書いてあるので引用します。
亞爾箇保兒蟲《アルコホル虫》は酒客の臓腑を蝕《く》ひ、白粉《おしろい》蟲は好ものゝ髄を食ひ、長半蟲は気を負ふものの精を枯らし、骨董蟲は壮夫の志を奪いて喪《うしな》ふ。さまゞゝの蟲、人を害《そこな》ふこと大なり。
酒・色・ギャンブル・コレクション。現代とあまり変わらないですね。
衰は避けられないが……
幸田は『一衰先ず起れば、二衰三衰引き続きて現れ、五衰具足して、長幹地に横たはるに至る。』として、いったん衰えが始まればそれは連鎖して、やがて木は倒れると書いています。
人はどうか。
『人もまた樹に同じ、衰相無き能はず、ただまさに老松古相の齢《よわい》長うして翠《みどり》新なるに效《なら》ふべきのみ。』
人も樹と同じで衰えは避けられない。せめて古い松が毎年新しく緑の葉をつけるのを見習おう。そんな感じでしょうか。
安岡は幸田の文章を引きつつも、衰えを遅らせる方法を提案しています。それは、樹でいえば剪定であり間引きです。その作業によって、最初の衰である【懐《ふところ》の蒸れ】を防げます。
人間でいえば、反省です。安岡は『人生のことは、これを要約すればこの一省の字に尽きるといってもよい。』とまで書いています。反省とは、ただ省みるだけでなく「省みることによって省く」こと。
「省みる」ということは、別にいえば「省く」ということだ。それによって人間本来の進歩・向上力が生まれる。すなわち克己だ。己に克って励む――『論語』の言葉でいうならば「克己復礼」である。
何を省くのか。「樹の五衰」になぞらえて考えれば、【梢《うら》どまり】、つまり自分の成長を止めることになりそうなものを見つけて、剪定し、間引いていくべきなのでしょう。それが現在の繁栄をもたらしているものであっても。