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コンセプトノート

311. 一つひとつの選択を、能動態で表現する

時間管理の王道

  部下のAが相談に来ました。上司のあなたはこう答えます。
  「ごめん、いま時間がないんだ。明日のプレゼンの準備を
  しなくちゃならないんだよ。明後日でいいかな?」
  しかしプレゼン当日、顧客からの追加オーダーを受けてしまいます。
  「ごめん、明日までって言われちゃってさ。ちょっと延ばして
  もらってもいいかな?」

  そんなこんなで数週間がすぎたある日、Aが「突然」辞めたいと
  言い出します。間が悪いことに、その日は特に動かせないアポが
  続けざまに入っています。
  「どうして突然そんなこと言うんだ!明日の朝イチに時間取るから、
  詳しく話を聞かせてよ」

 こういうケースを「後から」「他人事として」ながめると、問題はあきらかですよね。それは「突然」起きたことではないのです。緊急事項に追いまくられて、重要事項をおろそかにしてしまったということです。Aさんが抱えていた問題は、「辞職」という段階にまで悪化して、ようやく問題として認識され、あなたの「緊急事項」リストに載りました。

 しかし、こういうケースに「現場で」「わがこととして」遭遇した場合、どうすればよいのでしょうか。個々の局面での判断を見ていくと、「無理もない」と思えてしまいます。部下の相談にはいつでも乗れますが、顧客へのプレゼンは期日が決まっています。

 もちろん、相談の内容にもよります。仮にAさんが「死にたい」と言ってきたら、プレゼン準備をあきらめる、プレゼンの日をずらしてもらう、いっそプレゼンをあきらめるというような選択をするでしょう。しかし、それはAさんの問題の「緊急度」が高まったからにすぎません。

 ここで考えたい問題の本質は、常に緊急対応を続けるような状態から、いかに脱するか?ということです。

 時間管理の方法論は、これにも答えを用意しています。「緊急事項」は即座に対応しなければならないから「緊急事項」なのですから、起きてしまえば対処せざるを得ません。そこで、より予防的なアプローチを考えます。そもそも「緊急事項」を減らすことはできないかと考えるわけです。

 やるべきことを緊急度と重要度の2軸で色分けし、緊急度にかかわらず重要度の高いことにフォーカスをしていく。そうすることで、将来「緊急事項」として浮上するかもしれない問題にも、潜在化している段階で手を打つことができます。その結果、後手後手だった仕事のスタイルが徐々に改善されていくという理屈です。

重要なことの重要性を自分に認識させる

 こういった方法論を本で読んだり研修で学ばれた方は少なくないでしょう。わたしも、その一人です。いろいろと実践を試みてきました。もっとも難しいポイントは「重要度の高いことの重要性を自分に認識させる」ことだと思います。

 たとえば「部下が最高のパフォーマンスを発揮できている状態を保つ」ことに【重要】とラベルを貼ったとしましょう。しかし、もし「顧客の期待を超える」ことも【重要】だったとしたら、これらはしばしば両立しません。冒頭のケースはまさにそういう状態です。まずは両立させるようなアイディアを探るべきでしょうが、それでもダメだったら、より重要な(あるいは緊急な)ほうを選ばざるを得ません。

 このとき「重要な問題の一つに手を打たなかった」事実を自分に強く認識させられなければ、また同じ過ちを犯してしまいます。重要と思っていたのに放置した問題が、ある日「突然」の緊急事項として浮上してきます。【重要】とラベルを貼ったものに手を打てないまま、かなり長い時間を過ごしてしまったわたしとしては、ここが一番の難所だと思っています。

能動態で言う(自分の行動を自分の言葉で認める)

 そこで、わたしがときどき試みている方法を紹介します。それは「能動態に言い換える」こと。いま一度、冒頭のマネジャーの発言を振り返ってみます。

「ごめん、いま時間がないんだ。明日のプレゼンの準備をしなくちゃならないんだよ。明後日でいいかな?」

 相談に乗りたいが、プレゼン準備のせいでそれができない、申し訳ないという気持ちが表れていますね。これを能動態に言い換えるとは、自分の行動(プレゼン準備)を自分の主体的な選択であると宣言するということです。たとえばこんな感じです。

「ごめん、今日は明日のプレゼンの準備を最優先にしたいんだ。明後日でいいかな?」

 たったこれだけですが、自分の重要度をはっきりさせる(そして、それを伝える)ことからくる心理的な抵抗は、ことのほか大きいものです。実際、こんなふうに言おうと思った瞬間、

「部下は『自分が大事に扱われていない』と思って気を悪くするんじゃないか?」

と、ためらいを感じます。しかし実際に行動を見れば、そのとおりなのです。部下の相談に乗るよりも、目の前の仕事のほうが重要という選択をしたのです。それを自分に思い知らしめるために、能動態で言ってみるのです。

 わたしが感じる最も大きな葛藤は、しばしば家の中で起きます。家で仕事をしているところに子どもがやってきて、遊ぼうと言ってくるときです。そういうときには
「ごめん、いま時間がないんだ」でもなく、
「ごめん、これを明日までにお客さんに出さなきゃいけないんだ」でもなく、
「ごめん、この仕事をやりたいんだ」と答えるようにしています。

 このように能動態で表現すると、いつも選択の痛みを味わいます。なぜそれを重要と考えているのか。それなのになぜ、それにふさわしい時間を割かないのか。そういったことを自分に考えさせてくれます。

 もしほんとうに子どもと遊ぶことが重要であれば、お客さまにご迷惑をかけることを覚悟して、いわば職を賭して、遊ぶことだってできる。しかし、そうはしたくない。それよりは、子どもの不興を買ってでも、今日は仕事を選びたい。それが社会で果たしたい役目でもあるし、そうすることで、長期的には多くの時間を子どもと過ごせることにもなるのだ。それに、「仕事をしなければならないので遊べない」と言えば、子どもは「父は誰かに仕事をやらされている」と思うだろう。それは本意ではない……といった思いが、頭の中を駆けめぐります。

 わたしの場合、このような葛藤を経て、【重要】とラベルしたことの重要性が、自分の中に浸透していきました。どうも後手後手モードが直らない人は、お試しになられてはいかがでしょうか。

※ 能動態で表現するときには、ふだん以上に相手への配慮が欠かせません。特に、結果的にお断りをするようなときには、相手の気分を害さない配慮が求められます。自分のなかでの重要度をはっきり伝えられるかどうかは、お互いの人間関係によるところもあります。ここで書きたかったのは、何がなんでも口に出して言い切ろうということではなく、「選択を、他のなにかのせいにしないで主体的な行為としてとらえ直せば、『重要なこと』の重要性を腹に落として理解できる」ということです。