カテゴリー
コンセプトノート

670. ランチの選択と伴侶の選択は何が違うのか

なぜ伴侶を論理的に選ばない(選べない)のか

伴侶をどうやって決める(決めた)のか。論理的な思考スキルを学ぶクラスでときどき持ちあがる疑問です。何かを論理的に決めるときには選択肢を洗い出し、判断基準で絞り込むべきですが、結婚相手もそのように決めるべきなのか。ときどき、参加者の中に実際に結婚を考えている人がいたりして、盛り上がります。

「講師はどうされましたか」
「少なくともそのようには考えませんでした」
「やっぱりそうですよね」

といった会話が、違和感なく流れます。

そのように違和感を持たれないことに、ときどき違和感を持ちます。よい考え方・決め方を学んでいるはずなのに、なぜ大事な決断にそれが使えないのでしょうか。

もちろん、ランチは自分が選ぶだけでよい一方、結婚は相手の承諾が必要です。そこで自分でコントロールできる範囲で考えることにしましょう。問うべきは「なぜランチを選ぶように結婚を申し込む相手を選ばない(選べない)のか」です。

論理的に選ばない(選べない)3つのケース

本が手元にないので正確な引用ができないのですが、先日ひさしぶりに読み直したウィリアム・B. アーヴァインの『欲望について』に、『論理的に決められるのは、昼食に何を食べるかといった些細なことにすぎない』ということばがありました。

たしかに昼食ならば、まず持ち時間や予算などの制約を踏まえて選択肢を洗い出し、美味しさや栄養などの観点で優れたものを絞り込んでいけばよいでしょう。

なぜランチを選ぶように結婚を申し込む相手を選ばない(選べない)のか。いくつか場合分けをして考えてみます。

  1. よい判断のための論理はあるが、複雑で時間がかかりすぎるから
  2. よい判断のための論理はあるが、言語化できないから
  3. よい判断のための論理がない(実はどっちでもよい)から

 1. よい判断のための論理はあるが、複雑で時間がかかりすぎるから

先に「持ち時間や予算などの制約を踏まえて選択肢を洗い出し、美味しさや栄養などの観点で優れたものを絞り込んでいけばよい」と書きましたが、実際にこれを考えきるとなると、かなり時間がかかります。たとえば「美味しさや栄養“など”と丸めているが、食べる場所の雰囲気や食べるものについての飽きといった基準も加えるべきでは?」といった、ほかに考慮すべき要素を洗い出す必要があります。そのうえで「美味しさとは何か?レストランAでの食事にかかる時間をどう見積もるか?」といった、考慮すべき要素の定量化も必要です。そうなると、10分やそこらではなかなか考えきれません。

ランチの選択でさえそうなのですから、伴侶の選択を同じ方法でやろうとすると、人生という持ち時間の制約の中では現実的に無理が出るでしょう。

 2. よい判断のための論理はあるが、言語化できないから

とはいえ、複雑さだけが理由であれば、やがて克服できるでしょう。どんなに複雑でも、ロジックが確定していてデータが取れる判断ならば、コンピュータの助けを得て、やがてできるようになるはず。

しかし、選択の基準を突き詰めていくと、そのロジックを言葉では説明できないケースが実は多いものです。先のランチのケースでいえば、ソバなら毎日でも飽きないという人がいたとします。なぜソバが好きなのかと聞けば、たとえば香りが好きと答えるかもしれませんが、なぜその香りが好きなのかと数回繰り返すと、どこかで「ただ好きだから好き」としか答えられないところに行き着きます。

ランチの選択でさえそうなのです。その選択の根源的な基準を論理的に説明できないならば、論理的に選んでいるといえるでしょうか。まして伴侶の選択においておや、ということになります。

 3. よい判断のための論理がない(実はどっちでもよい)から

とはいえ、言語化できなくても、実は背後にロジックがある(2ではなく1である)場合もあります。ソバの香りを発する成分が健康の維持に必要な体質で、無意識のうちにそれを求めているのかもしれません。

あるいは、自分ではロジックを言語化できなくても、機械学習のような手法で自分の直感をシミュレーションできるようになるかもしれません。この場合も選択の難しさは1に還元されることになります。

ともあれ、こう考えてくると『論理的に決められるのは、昼食に何を食べるかといった些細なことにすぎない』という理由が飲み込めたように思います。些細なことであれば、言語化・数値化できない要素を捨象して論理的に決めても、まあいいやと納得できます。しかし重大な決断ではそうはいきません。

残る理由は「どっちでもよい」から。ランチであれば「何でもよい」もあり得るでしょうが、結婚相手が「誰でもよい」なんてことはありそうにないので、これは直感に反する選択肢です。

しかし、重大な決断ほど「選択そのもの」よりも、「その選択をまっとうすること」「その選択を意味づけること」のほうが重要なケースが多いように思います。アーヴァインは次のように述べています。

これまで欲望について注意深く考察した人々は、そろって同じ結論に達している。つまり、永続する幸福を手に入れる最善のーーひょっとすると唯一のーー方法は、自分のまわりの世界や、そこでの居場所を変えるのではなく、自分自身を変えることなのである。何よりも、自分を変えて、すでにもっているものを望むようにすることができれば、いま自分が生きている環境を少しも変えないままで、深い幸福を自分のものにすることができる。