カテゴリー
コンセプトノート

409. パスカルの賭け(0×∞問題)

0×∞問題

意思決定の難しい問題に、わたしが勝手に「0×∞(ゼロかける無限大)問題」と呼んでいる状況があります。要するに「起きる確率はほぼゼロだけれど、起きたときのメリットが無限大(あるいはデメリットがマイナス無限大)であるような事象をどう判断するか」ということです。

たとえば原発の是非。あなたは、いま原発の運転を認めるか否かについて一票を投じられるとします。あなたの主な関心は、天災やテロなどで日本が原発のコントロールを失ってしまう事態が起きるかどうかです。起きる確率はかなり低い(ほぼ0)と考えてはいますが、慎重に場合分けをして考えてみることにしました。

  • 原発を認めず、想定外の事態が起きなければ、問題はありません。エネルギーの安定供給ができなくなるぶん社会にはマイナスと考えて、-10のデメリットとします。
  • 原発を認めず、想定外の事態が起きたら、これも問題はありません。上のシナリオに復旧のコスト加えて、-20としました。
  • 原発を認めて、想定外の事態が起きなければ、これも問題はありません。エネルギーの安定供給が続くので社会にはプラスと考えて、+10のメリットとします。
  • 原発を認めて、想定外の事態が起きたら、これは大問題です。もはや日本は立ち直れないでしょう。値をつけるとすれば、ほぼ−∞です。

以上の情報からディシジョンチャートを作ると、下図のようになります。原発を認めないケースでは期待値が何らかのかたちで計算できるのに対し、認めるケースでは、想定外の事態が起きたケースの計算ができません。

     (ほぼ-10)  ┌─起きない(ほぼ1)…  -10     
  ┌─認めない─┤                                
  │            └─起きる(ほぼ0)…… -20     
─┤                                              
  │ (?)       ┌─起きない(ほぼ1)…  +10     
  └──認める─┤                                
                └─起きる(ほぼ0)……  ほぼ−∞

最初の3つのシナリオのメリット・デメリットをどう考えても、それは結論には大した影響を及ぼしません。最後のシナリオで「ほぼゼロ」「ほぼ無限大」をどう解釈するかによって、あなたの立場は変わります。

  • 想定外の事態が起きる確率は決してゼロではないことは確かだ。一方、起きてしまった場合の被害はどこまでも広がり得るので実質的には−∞だ。これをかけ合わせれば−∞なのだから、原発を認めるべきではない。
  • 想定外の事態が起きる確率は決してゼロではないことは確かだ。しかし起きたとしても、被害は−∞ではなく、有限の値に収まる。かけ合わせれば期待値は「認めない」を上回るので、原発を認めるべきだ。

パスカルの賭け

最近になって、この手のお題には「パスカルの賭け」という格好いい名前が付いていることを知りました。以下は『論理学』という本からの要約・引用です。

(キリスト教の)神を信じるべきだ。神を信じた場合、神が存在すれば、問題はない。神が存在しなければ、いろいろ無駄をしてしまったことになるが、大した悲劇ではない。神を信じなかった場合、神が存在しなければ、これも問題はない。しかし『もし神が存在するとなると大事だ。あの世でとてつもない苦しみを味わうことになるからだ。一片の憐れみさえかけてもらえなければ、その苦しみは永劫に続くかもしれない。だから、賢明な人間であれば神の存在を信じるべきだ。それこそが唯一の分別ある行動なのだ。』

(二重カッコ内は引用、それ以前は要約)

パスカルの元々の言明では、神がいなかったときの悲劇には触れず、「もし神が存在したら無限の歓喜が味わえる。存在しなかったとしても害はない。だから、神を信じるべきだ」というプラス無限大のシナリオだったようです。ただ、プラスマイナスどちらにせよ、我々の選択が無限大につながる選択肢に引っ張られるという本質は同じことです。

パスカルの賭けには、この世の神はキリスト教の神しかいないという前提に基づいているため、キリスト教の神を信じることから生じ得るさまざまなシナリオが考慮されていないという批判があります。たとえばキリスト教の神を信じることで他の宗教の神々から裏切りの罰を受けるシナリオ(これも−∞に違いありません)を考慮すると、逆にどんな神をも信じないのが合理的な選択になります。

この批判から、われわれが仕事や生活で直面する「0×∞問題」に立ち向かうためのヒントを得ることができます。つまり「0×∞問題」に陥ったと感じたら、問題の空間が狭まっていないかを疑ってみるということです。

原発問題では、いきなり二者択一を突きつけられました。しかし、原子力発電に対する賛否を考える人は、原子核を分裂させてエネルギーを取り出す行為すべてに反対なのか、特定の発電方式に限定して反対なのか、分けて考えたいことでしょう。また賛否を問うスパンによっても、考え得るシナリオが変わります。