『いちばん魅力的なのは、自分のアイデアを実現しようと挑戦している人だ。』
“There’s nothing more appealing than someone who wants to try to grow their own idea.”
–Gary Cowger, president, North American operations, General Motors
(“Growing Ideas“, Fast Company Now)
目にした瞬間「たしかにそうだ」と感じました。そういう人は応援したくなります。ただし、常にそうとは言えません。自己中心的な「自分のアイデア」を追究している人には、魅力を感じません。かといって、利他的な人ほど応援したくなるかというとそうでもありません。やはり「自分の成功」を追い求めている人に魅力を感じます。
この「チャレンジャーの魅力」とでも名付けるべき感情はどこから来るのかを考えているうちに、チャールズ・ハンディ氏の「適正な自己中心性」という言葉を思い出しました。
ハンディ氏は『もっといい会社、もっといい人生―新しい資本主義社会のかたち』の中で、まず『他人への配慮無しに、自由に人生を送ることができるわけではない』ことを述べています。
少なくとも、人々が自分が最も得意なことに注意を集中すればするほど、他人の専門的技能を必要とすることになる。いまや自己完結性は怠惰な人の見る夢だ。有機農業の畑を耕す人も、産品を市場に運ぶには、だれかが製造したトラックが必要だし、だれかが維持管理する道路を通らなければならない。(p14)
このように相互に深く依存している社会の中で、自分という個人をどう定義するか。そのキーワードが「適正な自己中心性」でした。
私はアイルランド人だが、ほかの人々なしでは生きていけない。しかし、私の人生が私自身から始まるのも事実だ。私はそれを適正な自己中心性、つまり自分自身の探求と名づけるが、逆説的なことに、これを最も見事に追究できるのは他人との関わりを通してなのだ。適正に自己中心的であることは、最終的には、自己を超えたもっと大きな目的を見出すことによって、自分自身を最大限に活用するという責任を受け入れることだ。自分自身を超えた目標をめざすとき、自分自身を最も満足させることができるというのは、快楽主義の逆説である。
『自分のアイデアを実現しようと挑戦している人』の掲げる目標が、本人だけの自己満足に閉じないような大きなものであることを見出したとき、応援をしたくなるのでしょう。