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コンセプトノート

116. サイコロ給

サイコロ給とは

「サイコロ給」という、ハッとするような報酬制度を取り入れている会社があります。

それは、自ら「面白法人」と名乗る、カヤックという会社。先日、代表取締役の一人、柳澤さんからいろいろ話をうかがってきました。

サイコロ給は、その名のとおり、毎月サイコロを給料日前にふる恒例行事。サイコロで給料が決められるなんて不謹慎?
いや、サイコロの目%×基本給が、給料の+αとして支給されるから減るわけではない。あくまでおまけ部分。でも、人間が人間を評価する仕組みなんてそんなぐらいで丁度いいと思いません?

自分の客観的評価は見つめなければならないが、一喜一憂しないこと。資本主義のモノサシで測れない価値もあるのだから。
そんな思想をサイコロ毎月ふって思い出してもらいましょう。
カヤックのホームページより引用)

読んでお分かりの通り、基本的にはオマケであり、サイコロの目が低かったからといって給料が下がるわけではありません。

ではなぜサイコロ給にハッとさせられたのか。

仕事の報酬を決めるメカニズムとその問題

そもそも、仕事の報酬はどのようにして決まるか。言うまでもないことですが、労働時間なり勤続年数なり成果なり能力なり、労働の質と量を評価するモノサシを決めて、そのモノサシで測った値と報酬を関係付けて決まります。

そうなると、これもまた当然ですが、報酬を多く得るための戦術は「とにかくモノサシで測られる値を上げる」こと。

報酬が労働時間に比例するならば、とにかく労働時間を伸ばす。
報酬が勤続年数に比例するならば、とにかく長期間勤める。
報酬が成果(目標への到達度)に比例するならば、目標を低くしておく。
報酬が能力に比例するならば?やはり能力を測るモノサシがあるわけですから、その数値を上げることに注力します。

モノサシをあてる人(評価者)が市場(つまり売上など自分がコントロールできない数値)でなく社内の人間ということになると、今度は情に訴えてもいいわけです。

経営者はこれを「手段の目的化」といって難じてばかりいることはできません。評価にはモノサシが必要ですし、いちどモノサシを定めれば社員が「とにかくモノサシで測られる値を上げる」戦術を選ぶのは合理的な選択です。
とすれば、経営者の役目は、会社の目的にかなった最もよいモノサシを選ぶことです。モノサシ(評価基準)を明らかにすることによって、経営者は自らの理念を表明しているともいえます。

前置きが長くなりましたが、サイコロ給にハッとさせられた理由は、それがモノサシの数値で報酬を決めるという発想の外にあるからです。

サイコロ給の効用

カヤック(及びその子会社)では現在、基本給+能力給+山分け給(会社の業績に応じた報酬)+サイコロ給という制度を運用しています。
能力給の部分では人が人を評価するわけですから、感情が色々と入ってきます。客観的に見て公平でないことも起きるかもしれません。正当に評価されなければ不満を感じます。不満を感じると感情が内向き・後ろ向きになります。

そこにサイコロ給。正当でも平等でもない基準で決まってしまう部分がある。

何を読み取るかは人によって違うでしょう:

・完全なモノサシなんかないんだ。次回は逆に良い方に評価してもらえるかも。
・サイコロの目は、回数を重ねるとある値に収斂していく。人の評価も同じで、短期的には凸凹があるものだ。期毎の良し悪しに細かく文句を付けるよりは、次の期こそ文句のつけようがない仕事をしよう。

何にせよ、面白くかつ深遠なしくみです。

起-動線的に見たサイコロ給

我々の人生も、公平でも平等でもありません。
いつかは六の目が出るでしょうが、いつか来るかはあてにできません。

努力と無関係に来るチャンスもあるし、理不尽な目にも遭いますよね。

ではどんな態度でいればいいのか。

「とにかく頑張れば必ず報われる」と信じるほど無邪気でもなく、
「どうせ世の中不公平」と言うほど投げやりでもない。
チャンスを探し、見つかったチャンスは活かすが、
チャンスの来ないことを嘆かない。

サイコロ給の話を聞きながら、そんなことを考えました。