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コンセプトノート

313. グランディー夫人とつきあうための5つの心得

グランディー夫人

『自助論』で有名なサミュエル・スマイルズは、『向上心』という本もものしています。そのなかに、こんな一節を見かけました。

いわゆる社会の腐敗した力に立ち向かうにはかなりの道徳的勇気が必要である。“グランディー夫人”(世間の口)は庶民的でどこにでもいる人物だが、その影響力ははかりしれない。

スマイルズ 『向上心』

 グランディー夫人とは誰か。Wikipediaの”Mrs Grundy“によれば「極端に因習的で道徳家ぶった人名の元祖」(an eponym for an extremely conventional or priggish person)だそうです(1)。

 インターネットのおかげで、意見を表明することは容易になりました。同時に、批判を浴びせることも容易になりました。社会人向けの研修では、売り文句の一つに「本来なら学校で習っておくべき(と言えるほど基本的で重要な)スキル」という言葉がありますが、「批判とつき合うスキル」も、これからの社会人にとって欠かすことのできないスキルといえるかもしれませんね。

 「社会の腐敗した力に立ち向かう」までのことをしなくても、批判は受けます。グランディー夫人のように「極端に因習的で道徳家ぶった」人だけが批判をするわけでもありません。ネット書店のレビュー欄やブログのコメント欄を眺めていてお分かりのように、ほんとうに種々雑多です。

 そこでグランディー夫人の定義をWikipediaよりも少し広げ、引用元にあったような「世間の口」と捉えて、これにどう付き合うかを考えてみました。

 以下は個人的な経験をまとめたもので、万能薬ではありません。「わたしは批判などに動じない」という人には、あまり得るものはないでしょう。しかし、もしあなたが、口では「自分がそう信じて表明した意見なのだから、批判は淡々と受けとめればいい」と言いつつ、なかなか恬淡とはしていられないということであれば、なにがしかの役に立つかもしれません。

グランディー夫人とつきあうための5つの心得

総合的にはプラスのほうが(はるかに)大きいことを忘れない

 書きはじめたときの期待や、書くことで得られたものを思い出します。いつでも手元の日記帳に戻れる自由を持ちながら、なぜネットに書くのか。何らかの期待があったから、そして満たされてきたからです。
 いうまでもなく、他人からいただけるフィードバックは批判だけではありません。批評、アドバイス、励まし、叱咤……。フィードバックがもたらしてくれる価値の大きさに思いをいたすことで、凹んだ気分を緩和できます。

少なからぬ批判は善意に基づいている、という前提で読み解く

 たとえば「もう少し調べてから書くべき」という字面からでは、書き手がどのような感情でそれを発したのかが分かりません。感情を、敢えて文字で表現してみましょう。たとえば次の2文を、(1)【】のような気持ちで、(2)()内を心の中でつぶやき、(3)太字部分を心持ち強め(声も少し高め)に、言ってみてください。

【応援】「(んー、)もうすこし、調べてから書くべき(でしたね…)」
【嘲笑】「もう少し調べてから書くべき(だろーがwww)」

 「文からは感情が分からない」と言いつつも、われわれが文を読むときには、実は書き手の感情を想定して読んでいます。前後の文章やより大きな文脈(それまでの人間関係など)で補って判断しています。読み上げソフトをお持ちの方は、ムッと来た(あるいは嬉しくなった)メールやコメントを読み上げさせてみてください。メッセージの印象が変わって聞こえることが確認できると思います。

 相手が悪意を持っていると思い込んでしまうと、素直に読めなくなります。その思い込みに基づいてコメントを返すと、ますますコミュニケーションがねじれます。上述したように、どうせ中立な気持ちでは読めないのであれば、悪い誤解を避けられる読み方をしたいと思っています。

「変な人」も5%はいる、と覚悟する

 これは、超大部数のメルマガを発行している方と話をしていて拾った言葉です。「変な人」とは、あくまでも自分から見たレッテルです。客観的な「変な人」基準があるわけではないので、自分も、ある人からみれば「変な人」でしょう。もとより、全員に好かれることはできないし、その必要もないのです。ちなみに、5%という数字に根拠はありません。

「自分の読者」からのフィードバックを重んじる

 これは、先輩執筆者からいただいた言葉。文章はすべからく読者を想定して書くものです。自分の文章を読んで欲しい人からの批判であれば、真摯に耳を傾ける。そうでない場合には、あまり気にしないようにする。それが自分のブレを抑えてくれる、とのことでした。

的はずれな批判にも、あらかじめ備えておく

 批判の多くは、実は予想できるものです。「自分の読者」と利害が相反する人からはこう言われるかな、とか、この部分の専門家からはこういう指摘があるかな、とか。
 わたしは、二冊目の本の原稿と同時に、想定される批判と自分なりの回答も書きました。批判への備えは、論理を明確にする助けになります。「この節は○○についての主張であって□□についてではない」「△△については、検討したが冗長なので省略した」という境界線が明らかになってきます。
 さらに、書き手の思いからすると的はずれな、しかし受けるかもしれない批判についても、想定問答集を作りました。別に誰に見せるわけでもありませんが、自分なりの見解を持つことは心を鎮めてくれます。

(1) ネットで検索しても(英語のページを含めて)ほとんど使われていないので、覚えても使いどころのない豆知識です。