アンドルーがダグおじさんの家を訪ねてきている。ダグが電話に出ていると、アンドルーがダグのズボンをひっぱってこう言う。
(『言いにくいことをうまく伝える会話術』より。一部編集しています)
「ねえダグおじさん、ぼく外に出たい」
「いまはだめだよ、アンドルー、おじさんは電話中だから」
「でもダグおじさん、ぼく外に出たい!」
「いまはだめなんだよ、アンドルー!」
「だって外に出たいんだ!」
おなじやりとりが何度かくりかえされたあと、ダグは別の方法を試してみる。
「 」
「うん」
アンドルーは言う。そしてそれ以上何も言わずに離れていくと、ひとりで遊びはじめる。
いったい、ダグは何と言ったのでしょうか。
この部分を読んで、部下の扱いに手を焼いていると語ったマネジャーを思い出しました。ある部下が相談に来てくれるのはよいが、話がとても長いそうなのです。彼はダグと違って無下に断わるようなことはせず、時間をとって相談に乗ってあげます。しかししばらくすると、部下はまた同じような相談を抱えてやってくるのです。部下の環境整備がマネジャーの仕事と思ってできるだけのことはしてきたが、もううんざりしている、ということでした。
その方の特徴的な話しぶりから、何が起きているかが想像できるような気がしました。彼の話の焦点は部下の抱える問題にあり、部下そのものにはないのです。分析めいた表現になってしまいますが、問題解決志向が高い反面、共感性が低いのです。
部下は「成果こそ上がらなかったが、成果に向けて自分が努力を重ねたことを理解してほしい」と思って話をしに来ているのに、上司は「君が成果をあげられなかった原因はこれで、解決するためにはこうすればいい」と打ち返してしまっている様子がうかがえました。その場に立ち会ったわけではないので、わたしの想像にすぎませんが……。
もちろん部下の問題解決を支援することはマネジャーの職務です。ただ、部下にとって必要なのは、解決策ばかりではありません。むしろ解決策よりも必要なものがあり、それなくして解決策が与えられたのでは、部下は意欲を失いかねません。
「なあ、アンドルー、ほんとうに外に出たいんだね」
ダグはそう言いました。アンドルーはその言葉を聞いて、ダグおじさんの電話が終わるまでひとりで遊ぶことにしました。つまり、自分で解決策を見いだしたのです。
もしダグがこの一言なしに解決策を与えたらどうなるか、セリフを入れ替えて再生してみましょう。
「だって外に出たいんだ!」
「電話が終わるまでひとりで遊んでいなさい!!」
「うん」
アンドルーは言う。そしてそれ以上何も言わずに離れていくと、ひとりで遊びはじめる。
アンドルーの行動は、表面的には同じでも、「何も言わずに離れていく」ときの気持ちは、だいぶ違っているでしょう。くだんの部下もダグの一言を、つまり受容と共感の一言を、求めていたのではないでしょうか。それが与えられないので、何度もマネジャーのもとを訪れていたのではないでしょうか。
以前、「ローガン・テスト」というテストを紹介しました。おじさんの家に泊まりがけで遊びに来たローガン少年のように、朝が待ちきれない思いで日々を送れているかを自問してみようというテストです。今回もたまたま少年とおじさんとの会話から題材を拾ったので、「アンドルー・テスト」と名づけましょう。アンドルーがそうだったように、相手が求めているのは承認・受容・共感ではないか、自分はそれを提供しているだろうか、自問してみようということです。