「わらしべ長者」という昔話をご存知のことと思います。
わたし自身はほとんど記憶になくて、せいぜい「棚からボタ餅的なことが何回も起きた話」くらいに思っていました。
先日小澤俊夫さんという方の講演を聞いてきた妻から、「『わらしべ長者』は藁を味噌から始まって次々に価値のあるものに交換していくが、出会いの順序が1つでも狂っていたら交換は出来なかった」と話されていたと聞いて、妙に感心してしまいました。
と同時に、「味噌」から始まるのだったかどうか、まったく覚えていなかったので、ネットで検索してみました。
昔話ですからいくつもバージョンがあります。主人公の枕元に神様が立ってどこへ行けと言ったとか、転んで偶然掴んだのが藁だったとか、とにかく藁を手に入れて最初に交換するのはだいたい「みかん」なのです。NTTドコモの「こども電子図書館」では、『(略)「わらしべ長者」は、自分は働かずに「助けてください」と神頼みばかりしている男が主人公です。全国的に見ても”神頼み派”の主人公が多いようですが、(略)』とあります。
ところが、「味噌」を探しているうちに、沖縄の民話としての『わらしべ長者』に巡り合いました。このバージョンは単なる不労所得を得る話とはかなり違っていて、なんと、琉球を統一した王の伝説になっています。
0. まず藁は母の形見として子供の手に渡されます。母ひとり子ひとり、家もないのでほら穴に住むほど苦しい暮らしの中、母が病気で死んでしまったのです。
1. ひと束の藁を持って歩き出した子供は、味噌屋と出会います。味噌は芭蕉の葉にくるみ藁でしばって売るのですが、味噌屋はその藁を切らしていたのです。最初は味噌屋からただ「その藁をくれ」と言われて断り、では味噌と交換にしようと持ちかけられて承諾しました。
2. 次に鍋の修理に味噌を必要としていた鋳掛け屋と出会い、味噌を鋼鉄の塊と交換することにしました。(鍋の修理になぜ味噌が必要だったのかは不明)
3. その鋼鉄を鍛冶屋に持ち込み、ここで働くから刀を鍛えてくれと頼みます。しかし3年働いても刀を作ってもらえないので自分で作ってしまいます。いまや子供は青年となりました。
4. あるとき唐船の船長がその刀に惚れて、青年は刀を手放して金屏風と鉄板を得ました。
5. 青年は、鉄板の半分で鍛冶屋に鍬をたくさん作ってもらい、残り半分を鍛冶屋への報酬としてわたします。その鍬は百姓に配りました。当時は木の鍬が一般的でしたので百姓たちはとても喜びました。
6. 金屏風の方は南山王というその地方の王が欲しがったので彼に譲り、代わりに大きな泉を手に入れました。
7. 水の利権を得た彼は、「自分の味方をするものにだけ水をやる」と持ちかけて家来を作り、ついには南山王を滅ぼして琉球を統一するに至りました。
(以下のページを参考に要約しました)
> 沖縄民話「藁しべ長者【北中城村】」〜日刊OkiMag
> わらしべ長者
藁からついに国を掴んだというスケールの大きな話が面白かったので長々と引用してしまいました。
最初のステップこそ純然たるツキのようですが、それ以降はかなり本人の「意志」が見えます。味噌は食べてしまえばおしまいですが、鋼鉄は鍛えれば刀になります。価値が大きく上がります。
唐船の船長と出会う機会があっても、鋼鉄のままでは何も起きなかったところですが、彼が欲しくなるような見事な刀だったので金屏風と鉄板を手に入れることができました。その刀は自分で鍛えたものですから、もはや偶然ではなく彼の努力が生じせしめた必然というべきでしょう。その後のステップは解説するまでもありません。
この話からはいろんな教訓が引き出せそうですが、特に、1.で得た小さなツキを自分の意志で大きく育てたところが印象的でした。
「わらしべ長者」と聞くと反射的に「いいなあ」と思ってしまうわたしですが(笑)、手持ちの藁を味噌と交換するくらいのツキは、何回も拾ってきたはず。しかし、その味噌(小さなツキ)を刀(自分の資産となるスキルや強みの象徴)に育てるために、意志を持って長期投資に臨んでいたかどうか。少年のこの自己投資スタイルに学びたいと思いました。