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コンセプトノート

388. やる気を見つけるために、現状を「選び直す」

「週末は、親戚の介護があるんですよ」
友人のAさんから、そんな近況を聞きました。Aさんの伯母は伴侶に先立たれて独り暮らし。子どもはおらず、兄弟も近くには住んでいません。認知症が進んできたため介護サービスを頼んでいるが、それでもいろいろあって、毎週通わないといけないそうです。
「小さい頃にとてもお世話になった伯母なので、義務と思ってやってますよ」
と言っていました。

「こういうのもチャレンジというんですかね」
と、問われたような気がしました。実際にそう言われたわけではないのですが、あたかも「もし堀内さんがわたしの立場だったら、どう考えますか?」と問われているように感じました。

誰にも「降りかかってくるピンチ」はあります。新任の上司がとてもイヤな奴だった、突然社内の公用語が英語になった、などなど。そのようなときに、一拍置いて状況を新しい目で見直す方法はないだろうか。Aさんから(勝手に)あずかったお題をあれこれ考えていました。

現状を「受け入れる」という言葉は、いかにも受動的で、気持ちの切り替えには役立ちそうにありません。現状を「引き受ける」と考えてみるのも、個人的には好きな言葉ですが、もう一歩前向きな発想を自分にさせる言葉がありそうです。
試行錯誤の末、現状を「選び直す」という言葉を見つけました。最近試してみて、いろいろ発見がありましたので、それを紹介します。

現状を「選び直す」というエクササイズ

現状を「選び直す」とは、現状を
「そうしないこともできるのに、自分はあえてこの道を選んでいる」
と、はっきり言葉にする作業を指しています。

思い込みを打破するためには、「〜もできるのに」という部分を思い切って広く考えてみるのがよさそうです。事実上ありえない選択肢でも、思考実験として、あるいはいっそゲームとして、考えてみます。Aさんの例でいえばこんな感じです。

「介護したくなければ伯母を殺すこともできるのに、そうしないことを選んでいる」
→ あたりまえ!殺人は犯罪です。しかし、この「あたりまえ」を「あえて犯罪者にならないという選択をしている」と選び直します。「法律の定めがなくてもそんなことはしない」と思うのであれば、それは「(自分が考える)まっとうな人間でいるという選択をしている」と選び直します。

次はどうでしょう。
「介護を放棄することもできるのに、そうしないことを選んでいる」
→ これもあたりまえすぎて、ふだんは考えることもないでしょう。しかし実際問題、実の親の介護放棄であっても法的に罰せられることはないそうです。また介護に行けないもっともな理由をつくることもできるはずです。ですから「法的・技術的には介護を放棄できるのに、あえてそうしない」と選び直します。

いろいろなテーマでこの「選び直し」エクササイズを実施してみると、「状況がこうなので、こうするしかない」としか思えないことでも、つまるところは自分の選択なのだということに気づけます。Aさんは「義務」という言葉を使っていましたが、その義務を負わせているのは、自分(の道徳観)に他なりません。同じ状況下にあっても、伯母の状況を見て見ぬふりをして、しかも心の平穏を保っていられる(、Aさんから見れば薄情な)人だっているでしょう。

他のケースも同様です。イヤな上司であれば「上の上に相談することもできるのに、自分はあえてそうしない」と選び直します。すると「いや、そのように自分に言うことには耐えられない。上の上に相談してみよう」という行動につながるかもしれません。
英語公用語化であれば「会社を辞められるのに、自分はあえて英語を学ぶ」と選び直します。すると「まあそうだな。この会社でやりたいことを考えると、超えるべき壁として苦手な英語を学ぶという選択をしている」という覚悟につながるかもしれません。
いずれにせよ、多くの場合は状況からチャレンジを引き出すことができるように思えます。

毎朝、自分を「選び直す」

われわれは毎朝起きて、昨日の続きをします。わたしでいえば、昨日やり残した仕事の続きを今日やります。昨日まで夫だったので今日も夫をやり、昨日まで父だったので今日も父をやります。

それらすべては、実は選び直すこともできます。仕事を放棄し、家庭を放棄し、蒸発することもできます。恩知らずになる自由も、住所不定無職になる自由も、犯罪者になる自由も、自分の命を断つ自由も、わたしにはあるのです。

でも今日は、あえて昨日の続きを選びます。夫になり父になり、仕事の続きをやる道を選びます。最初に、それを選んだときのことが思い出されます。

朝にそんなことを考えてみるのは、まるで精神の着替えです。寝間着を脱いでから服を着るように、状況から離れてからすべてを選び直す。そうすることで、今日1日の「役」をしっかり引き受けようという気持ちが高まりました。