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コンセプトノート

097. まじめでなく真剣

頑張っているけど評価されない、努力しているのに報われない。そんな不満は誰もが持っていると思います。実際、キャリアに関していろんな方からお話をお聞きする中で、この「報われない」という不満はトップ3に入る人気(?)です。

そんなときに自問してみるといいかなと思ったのが、この「まじめだが真剣でない」という言葉。これは最近読んだ『意思決定の理論と技法』という本で見つけた言葉です。

著者の篭屋 邦夫さんは「はじめに」で不安と不満には2種類あると説明しています。すなわち前向き(建設的)なものと後ろ向き(非建設的)なもの。

「非建設的な不満」とは『自らの置かれた現状の枠組みや環境条件に対する不満であり、その原因は自分にはなく与えられた環境条件のほうにある、という受け止め方』です。不満を持ちながらもその枠組みを積極的に打ち破ろうとしなければ、それは「被害者モードの安逸」である、と手厳しい言葉も。

こういう風に正論で迫られると「いや、わたしは環境を変えようという努力もしている」と返したくなりますよね。誰だってこんなに忙しい自分が「被害者モードの安逸」に浸っているなどとは言われたくないでしょう。

しかし、自戒を込めて振り返ると、難しいのは無意識のうちに枠組みに安住している自分に気づくこと。そこで、
「まじめにやっているのは間違いない。」と認めたうえで
「だが『真剣に』やっているか?」と問うてみるとどうでしょうか。

「まじめだが真剣でない」症候群について同書から引用すると:

これは、「与えられた仕事は、与えられた時間と予算の中で、精一杯、手を抜かずにやる(まじめである)」が、「何が本当になすべきことなのか、また目標を何がなんでも達成するにはいまのやり方や方向性で本当によいのか、といったことまで含めて、徹底的に考えたり悩んだりしない(真剣ではない)」ということである。真剣でないということは、言い換えれば戦略的方向性の決定については自らの関与や責任を放棄していることであり、ディシジョン・マインドがないということである。いわゆる「大企業病」も、多くはこの「まじめだが真剣ではない」症候群に源を発しているものと思われる。

こうも言い換えられますね。一所懸命ではあるが、手段が目的化してしまって目的を問い直すことを忘れてしまっている状態が「まじめ」。目的への最短距離を常に模索しているのが「真剣」。

では目的ってのは何だ?と考え出すとこれが難しい。仮置きでもいいから目的と目標の見直しサイクルを作るところから始めようというのが「自分ナビ」作成プログラムです。