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コンセプトノート

560. 「恵まれた」という選択

「仲間に恵まれました」

先日、ファシリテーション(議論を促す技術)のトレーニングを実施しました。数チームに分かれ、ファシリテーターを決めて議論をし、振り返る。さまざまなスキルを学ぶためにこれを繰り返します。講師役のわたしは場を回遊し、振り返りのときにフィードバックをしていく役でした。

ある回、ファシリテーター役のAさんが議論を振り返っておっしゃった「仲間に恵まれました」という言葉を聞いて、やはりそうかとしみじみ納得しました。

恵まれるというのは受け身の動詞です。議論の中でよい発言をたくさん与えられたとき「仲間に恵まれた」と言えるわけです。しかしAさんは最初から「仲間に恵まれた」と思える状態をめざしていたように見えました。こまめに意見を引き出しながら、議論の最中から実際に「いやー、仲間に恵まれました」と言っていたのです。Aさんなら、仲間が誰であっても「仲間に恵まれました」といって議論を終えることができそうでした。

Aさんの立派な姿勢と言葉は、わたしを恥じ入らせるに十分なものでした。何人か消極的に見える参加者に引きずられて「参加者に恵まれなかったかな」という思いで場に立っていたことに気づかされたのです。

「仲間(参加者)に恵まれなかった」というのは簡単ですが、それで何かが変わるわけではありません。ところが「1日の最後に『参加者に恵まれた』と言えるようにしよう」と考えてみると、場が違ったものに見えてきます。今ここに集った参加者だからこそ得られる学びとは何だろうかと考えることで、取るべき行動のアイディアも浮かんできます。

そこで、その気づきを皆さんに共有し、遅まきながら「参加者に恵まれた」と思えるように全力を尽くしたいと申し上げました。皆さんもそれに応えてくださり、充実した一日にすることができました。

「今日はいい日になろうかな」

帰り道、その日のことを反芻していると、別の研修の冒頭での社長のスピーチが浮かんできました。1年近く前のことです。

「自分は『今日はいい日になろうかな』と思って1日を始めたい」とおっしゃったのです。文法的にはヘンな言葉ですが、どこか惹かれるものがあり、メモしておきました。

その日の気づきを経て、ようやくこの言葉のうまい解釈が見つかったように感じられました。「今日はいい日になろうかな」は「今日はいい日になったと思えるように1日を過ごしたいな」なのです。おそらくは「今日をいい日にするぞ!」といった他動詞的な力みがないところに魅力を感じたのでしょう。

「恵まれた」と決めたので恵まれた

仲間に恵まれた。いい一日になった。どちらも結果としての状態を表す言葉で、一見すると自分の操作が及ぶところではないように思えます。

しかし、仲間に恵まれた、いい一日になったと思えるように行動しようという意志は、選択できます。結果としての状態はさまざまな事象が組み合わさって生じるのでコントロールできるものではないとしても、望ましい状態が鮮明にイメージできていれば、それに向けて選択を重ねていくことはできます。それは自らを望ましい状態へと導く確率を高めるでしょう。

書いてしまえば当たり前のように感じられますし、実際10年以上前にも同じようなことを書いた覚えもあります。でも、なかなか実践できていません。議論の最中から「仲間に恵まれた」と仲間にフィードバックをしていたAさんの知恵に、あらためて感じ入りました。