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コンセプトノート

264. 「後知恵のバイアス」に立ち向かう

9.11テロは予測できた。なぜなら不審な動きは察知されていたから。先週の株価の上昇は、景気復活の予測が出た時点で予測可能だった。

「事前に知っていた情報があったのだから、あの出来事は予測できたはずだ」
行動経済学の研究によれば、我々はそう思い込んでしまう傾向(後知恵のバイアス)があるそうです。

私たちには、過去の出来事に意味を与え、それは以前の状況から避けようもなく生まれた結果なのだと考えるという、特殊な能力がある。そのために、前もって知っている情報があったのだから、すでに起こった出来事も予測できたはずだと、まちがって思いこんだりする。

マッテオ モッテルリーニ 『経済は感情で動く―― はじめての行動経済学』 (p187)

つまり我々は、ある結果を自分の知っている原因に結びつけて「説明をつける」ことを好む傾向を持っているのでしょう。

我々は、自分が知っている(数少ない)原因から強引に結果を説明してしまいがちである。つまり、あるチャレンジが成功したのは「自分のやり方がよかったから」で、失敗したのは「自分のやり方がまずかったから」だ、と実際以上に思いがちだということです。

もしそうならば、結果を振り返って反省する、あるいは経験から学ぶアプローチには、自分の意志決定のロジックを歪めるリスクがあることになります。結果が良かったからといって正しく決められたことにはならないし、結果が悪かったからといって決め方が間違っていたわけでもないのです。

ある決定が正しいかどうかを知るには、その決定にともなう結果を考えるのではなくて、決定のプロセスを考えなければならない。「結果はどうでもいい」と言っているのではない。結果は大事である。けれども結果にばかり気をとられると、決定する前に直面していたリスクや不安定な状況を見過ごしてしまいがちなのだ。問題は、結果がわかった後で(事前に正確に予測することなど不可能だ)ある決定を評価するという方法が、将来何かを決定するときのやり方に影響を与え、よくない結果を出してしまうことである。(p191、同上)

ではどうすれば、この「後知恵のバイアス」を取り除けるのか。わたしなりに考えたことをリストしてみます。

  • 謙虚になる。「すべての結果には原因がある」という格言は真実かもしれないが、我々が知り得たり、コントロールできたりする原因は、ほんの一部である。
  • ある結果を出すための原因となり得ることをできるだけ挙げる。そのうえで、知っていること・コントロールできることと、そうでないことに分ける。そうすることで上記が実感できるはず。
  • 「経験者のアドバイス」に注意する。経験者の体験と、彼(女)がそこから引き出した教訓を注意深く聞き分ける。後者には「後知恵のバイアス」が掛かっている。
  • 論理的な問題解決や意志決定の方法論を学ぶ。
  • 意志決定の過程を書き留めておく。自分なりにより良い意志決定のあり方を考え、改善を重ねる。