「これといった強みがない」という悩み
今週、偶然にも2人の方が別々に
「自分にはこれといった強みがない」という話をされました。
おひとりは社会人になりたての方で、もうおひとりは中堅くらいの方。
別にキャリア相談というわけではなく、
単に雑談の中で出てきた言葉です。
ただ、「強みがない」と感じておられることを
気にされているご様子が気になってしまいました。
「強み」については、以前にコラムにまとめてみたことがあります。
(1)強みとは相対的なもの
(2)強みとは厳しい競争の末に認められるもの
(3)強みとは自分の好きなこと・得意なことの周辺にあるもの
『強みの上に自らを築け!』
箇条書きにこそしませんでしたが、後段で書いたことは
(4)強みとは、組み合わせて発揮するもの
ということです。
加えて、たとえば「転勤を苦にしない」とか「若い」といった、本人の努力とは関係ないことであっても、他者が認めさえすればそれは強みであるという話を書きました。『「ちょいヒマ」も強みのうち』というコンセプトノートは、それを少し掘り下げたものです。
「強み」の素を収集する
今週さらに
(5)強みとは、得てして表現しづらいもの
を加えたいと思います。
例えば今週お会いした方は、物腰がとても柔らかで、
これは非常な強みになると感じました。
ただ、「物腰柔らか」といってもいろいろあります。
受容性の高さを感じる方。
柔らかだけれど強い自尊心がその下にあることを感じる方。
中には、
他者への依存心が高いかなと感じたり、
なぜか、ちょっと慇懃無礼な感じがしてしまう方も。
その方の「物腰の柔らかさ」は、
「カフェを開いたら、人が集まりそう」な感じでした。
労せずしてそういう雰囲気を持っているというのは、強みです。
ではそういう強みをどう発見し、言語化していけばいいのでしょうか。
基本的には、他者に見いだしてもらうのが最良と考えます。
鏡で見る自分は、必ずしも本当の自分ではありません。
なぜなら我々は、無意識のうちに「いい顔」を作ってしまうから。
(ポケッとした顔を撮られて、ガックリ来たことはありませんか?)
ただ、自分が思う「いい顔」と、他者が認める「いい顔」は
同じではありません。そのポケッとした顔が、
他者が認める「いい顔」かもしれません。
それと同じで、例えば自分で
「自分の物腰の柔らかさは強みなんじゃないか」
と意識してしまうと、その瞬間から自意識過剰になり、
本来持っていた「物腰の柔らかさ」が失われかねません。
かといって他者、例えば友人に
「私の強みって、なんだと思う?」
とまじまじと聞くのもためらわれますよね。
ですので、友人が語る自分についてのコメント、例えば
「それはいかにも君らしい」
「君がそう言うとは意外だった」
といった言葉を集めるところから始めてみてはどうでしょうか。