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コンセプトノート

172. 「創造性のカンブリア爆発」期を経て誕生する「参加型社会」の予想図

「創造性のカンブリア爆発」

このメディア革命は、Saffo氏が言うところの、創造性の「カンブリア爆発」― 5億3千万年前に、生物が爆発的に多様化した現象 ― をもたらすだろう。
The obvious benefit of this media revolution will be what Mr Saffo of the Institute for the Future calls a “Cambrian explosion” of creativity: a flowering of expressive diversity on the scale of the eponymous proliferation of biological species 530m years ago.

われわれが立っているのは、歴史上かつてない、文化的な豊かさとありあまる選択肢をもった時代の入り口だ。この時代の産業においては、「仲間」が産み出すものが最も価値を発揮する。
“We are entering an age of cultural richness and abundant choice that we’ve never seen before in history. Peer production is the most powerful industrial force of our time,”

上記はいずれもThe Economist誌の”Among the audience“(聴衆の中へ)という記事からの引用。

「このメディア革命」というのは、個人の情報発信が格段に容易になってきている現在の状況を指しています。個人が情報を発信し、個人同士がつながることが容易になってきたことは、メディア産業の枠内でなく社会現象として捉えるべきだと、記事は論じています。

人々はもはや受動的にメディア(とその収入源である広告)を「消費」するのではなく、積極的に参加している。形態や規模はどうあれ、コンテンツを創り出しているということだ。
people no longer passively “consume” media (and thus advertising, its main revenue source) but actively participate in them, which usually means creating content, in whatever form and on whatever scale.

「参加型社会」の予想図

つまり、消費者としても生産者としても、「参加」が可能になってきているし、むしろ必要になっていく。「自分を表現する」ことが、個人の生活スキルとしても職業人の職業スキルとしても、これまで以上に求められるようになっていく。そういうことではないかなと感じました。そこで、記事を離れて、これからの「参加型社会」を予想してみたいと思います。

「参加型社会」では、生産者と消費者の区別が無くなっていきます。もちろん機能としての生産者と消費者は残りますが、生産者が「消費者の声を吸い上げて」「(生産者デザインの)製品を作って」「(生産者が敷いたチャネルで)売る」といった役割分担は、もはやありません。

意欲と能力のある人は誰でも「参加者」として商品開発に参加し、生産機能を外注し、価値を認めてくれる対象に販売できるようになります。つまり、自分を表現し、どんどん「参加」する個人が報われる社会です。

生産者と消費者の区別が無くなっていくということは、職業人と個人の区別が無くなっていくということをも意味します。代わりに立ち現れてくるのは、「参加者」と「傍観者」という区別。

「参加型社会」においては、自分を表現できない分野については「傍観者」の立場で商品を買ったりサービスを受けることになります。誰もが、分野によって「参加者」であり「傍観者」です。

そのような社会における地位や報酬の高さは、社会参加の能力の高さに大きく依存することになります。その基礎が、上述の「自分を表現する」ことです。

では「自分を表現する」とはどういうことか。これは次回に書くことにします。