たとえば、『「誠実な人」の行動』というリストがあります。
- やると言ったことはやる
- 自分の欲求は後回しにする
- 勇敢に振る舞う
- 公共の利益を重んじる
- 敬意・正直さ・信頼・公正さを決して失わない
「誠実な人」の行動 – *ListFreak
この『「誠実な人」の行動』が、文字通りの意味で「自分のものになる」ことはない。そう思います。どんなにがんばってもこんな立派な人にはなれそうにありません。それどころか、どこかに書いておかないとリストの項目すら思い出せないありさまです。
リストが「自分のものになる」というのは、判断の指針として使えるという意味です。その意味においても、実現はそう簡単ではありません。以下に、その状態に至るまでの典型的な道のりを書いてみたいと思います。
気に入ったところだけつまみ食いする
そもそもあるリストが気に入るということは、すべての項目ではないにせよ、どこか共感している部分があるから。最初は、その部分だけに目が行く。
「誠実とは『やると言ったことはやる』ことか、いいこと言うな(自分もそう思っていた)」
作成者の意図や、言葉の意味の深さに気が付く
自分なりの理解で「誠実」に過ごそうと思うと、リスト項目どうしが矛盾する場合がでてくる。たとえば「やると言ったことはやる」を貫きたいのに、同時に「自分の欲求は後回しに」しなくてはならない事態に遭遇して、何らかの気づきを得える。
「自分がやりたいことだけを選んで『やると言ったことはやる』というのは、誠実ではなくてワガママというのかもしれない」
ますます気に入って、すべての項目を満たそうとする
リストの項目一つひとつに意味があることに気がついたので、まずは守破離の「守」とばかり、リストの言葉をできるだけ忠実に守ろうとする。
たくさんの例外を発見する。「自分には向いていない」「使えない」と思う
とはいえ、現実の世界で適用とすると、やはり難しいケースが生じる。
「部下が望まない仕事を【誠実に】押しつけるなんてできっこない」
「【誠実に】価格交渉をしていたら、競合に勝てるわけがない」
ここでリストを捨てる人もいる。しかし、それが言い訳に過ぎないような気がして、なんとか使い続けてみようとする人もいる。
もう一度言葉の意味を吟味する。自分なりにカスタマイズする
「『公共の利益を重んじる』の『公共』って、ステークホルダー(利害関係者)のことだと何となく思っていたけど、そうじゃないのかな?直接利害が及ばない人とか自然環境とか、そういうことも対象なのかな?」
「第三の解」を見出す経験をする
リストをにらんで考え抜くことで、リストのテーマ(今は「誠実さ」)に沿いながら何とかやり遂げる道を見いだす。その結果に自分でも高い満足を得る。
達成できていないことを認めつつ、リストを頼りにする
「何も考えなくても誠実に振る舞える」といった、悟りを開いたような状態は半永久的に来ないことに気づく。
誠実であり続けるためには、そのつど考え尽くさなければならないことを覚悟する。リストをその指針として使うようになる。