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コンセプトノート

263. よい意志決定とは何か(起-動線6周年に寄せて)

当サイトというか、当会の活動は今日でちょうど6年経ちました。「個人にとってよい意志決定のあり方」というテーマは文字通り「汲めども尽きぬ」深みがあり、わたしの興味は深まる一方です。

このテーマを考える材料は、何よりも、オンライン/オフラインを問わずコメントや相談を寄せてくださる方々とのコミュニケーションです。これまでのお付き合いにあらためて感謝を申し上げると共に、今後ともよろしくお願いいたします。

そもそも、何をもって「よい意志決定」というのか。サイトの内外で書き散らしてはいますが、この機会に簡単にまとめておきたいと思います。

意志決定とは、タイミングとプロセスのアートのようなものだと考えるに至りました。よい意志決定とは、よいタイミングで、よいプロセスで、決めること。言い換えると、「機会を逃さない」意志決定であり、かつ「後悔しない」意志決定です。以下にひとつずつ解説します。

「機会を逃さない」意志決定

人生には大小無数の「機」(きっかけ)があって、我々はその中から自分に好ましい「機」を「機会」(チャンス)として選び取り、活かすことで「ありたい自分」に近づこうとしています。「機」というものは、チャンスかピンチか見分け難い風体で、しかも期限付きで、続々とやってきます。いくつかは自分で仕掛けたものであり、その他は偶然やってきたものかもしれません。
(参考:「「チャレンジ!」で見えてくる「ありたい自分」」)

「機会を逃さない」意志決定とは、そんな「機」の中から自分にとって「機会」といえるものを選び取り、どうするかを決めるということ。そのためには2つの条件があります。一つは「機会」に備えていること。もう一つは「機会」に臨んで速く決断できることです。

『「機会」に備えている』ということは、「自分の欲しいチャンスが分かっている」ということです。『「機会」に臨んで速く決断できる』とは、『「何を」「どうやって」考えればいいか』が分かっているということです。
(参考:「なにを考える?(ライフ・アーキテクチャ)」)
(参考:「どうやって考える?(意志決定のステップ)」)

「後悔しない」意志決定

意志決定の結果は、コントロールすることができません。我々にできるのは最善といえるプロセスで意志決定をすること。結果にかかわらず「あのタイミングで下した意志決定としては、これが最善だった」と振り返れるような意志決定が、ここで言う「後悔しない」意志決定です。

「最善」には、「論理的な最善」と「情緒的な最善」があります。「論理的な最善」とは、客観的で妥当性の高い決め方ということ。統計的に可能性の高い選択肢を選ぶことや、心理的な偏りを補正して考えることを意味しています。

「情緒的な最善」とは、自分の心情として後悔しないような決め方ということ。論理的に最善な意志決定が、つねに自分にとって「後悔しない」意志決定とは限りません。論理的には最善でないことを理解した上で、なお違う道を選びたい場合もあります。
(参考:「後悔を最小化するという理論」)
(参考:「あと3年で死ぬ。「第二の人生」はない。」)