多くの人たち、特に一芸に秀でた人たちは、他の分野をばかにしがちである。他の知識などなくとも十分だと思う。一流のエンジニアは、人間について何も知らないことをむしろ鼻にかける。彼らにすれば、人間というものは、エンジニアリング的な視点からは理解しにくく、あまりに不合理な存在である。逆に、人事部門の人間は、会計や定量的な手法を知らないことを鼻にかける。
そのような自己の無知をひけらかす態度は、つまずきの原因になる。自己の強みを十分に発揮するうえで必要な技能と知識は、必ず習得しなければならない。
『P.F. ドラッカー経営論』p600
「強みを生かすために何をすべきか」という項からの引用です。氏は自己に対するフィードバック分析の結果を踏まえて行うべきことを7つ提案しており、その3つめに「無知の元凶ともいうべき知的傲慢を知り、正すこと」を挙げています。
わたしも過去何回か「専門」と言える何かが欲しくなり、仮決めをして、懸命に学びました。そして、ある分野に通じた結果、自分を頼って質問してくれる人が現れたりするようになるたび、同じような過ちを繰り返してきた(今も繰り返している)気がします。
まず、「専門」領域に対しては、自分のささやかな地位を守りたいという気持ちから、他者に厳しく(時には過剰なまでに攻撃的に)なります。一方、「専門家」たる自負を持てると、「無知」な領域があることを堂々と認められるようになります。むしろ「専門外のことは知らん」という態度が専門家らしい振る舞いである、という錯覚に陥ります。
しかし、そのようにして閉じこもる度に気がつくのは、新しい価値や発想が常に「際(きわ)」で生まれるということ。常にはみ出し続ける気持ちでいた方が、実は多くの成果が得られます。
この専門家意識と知的傲慢は常にセットになってやって来ます。いっときは謙虚になったつもりでも、油断はなりません。これからも同じことをやらかすに違いないので、せめて批評が受けられる環境を作っておきたいと、思っています。