拙著『クリエイティブ・チョイス』への書評を書いてくださった方が、「本の著者に聞いてみたいこと」というコーナーを設けられていました。
★━━━━本の著者に聞いてみたいこと━━━━━━━━━━━★
『未来を必然とするためには』元に何を持っている?
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エンジニアがビジネス書を斬る!
なんとも難しい問いですね……。でもせっかく頂戴したお題です。起-動線コンセプトノートの肴にさせていただきましょう。
回答
「望ましい未来のイメージ」と「起きたことを受け入れる準備」
と答えてみたいと思います。
その理由
「未来は必然的にやってくるものなので、何も要りません」では答えになりませんよね。
「必然的(因果関係が明らか)な未来というのは言葉の定義として矛盾しています」では、つまらない。そこで、次のように問いをすこし言い換えて考えることにします。
| 「未来」に何か望ましいことが起きたとき、それが「必然」だった
| と思えるような人は、「元に何を持っている」のか?
●望ましい未来のイメージ
これは、偶然ではなく「必然」だった。何かが起きたときにそう思えるためには、望ましい未来についてのイメージをかなり明確に持つ必要があると思います。
たとえば、野球やサッカーのプロ選手に「偶然」なってしまった、という人はほとんどいないでしょう。こういった人気スポーツのプロフェッショナルになるためには、絞った目標に対して大きな努力を長い時間続けることが求められます。そういう人は「これだけがんばったのだから、望ましい結果になったのも『必然』だ」と思えることでしょう。
●起きたことを受け入れる準備
前記を能動的なアプローチとすれば、受動的なアプローチもあります。すなわち、何が起きても「これが必然だったのだ」と解釈するということです。なんとも「流されるがまま」だという印象で、質問の趣旨とは離れているように思いますが、問いへの回答としてはアリです。
●その両方を併せ持つ
冒頭に書いたように、字義通りの意味で「未来を必然とする」ことはできません。それを踏まえると、処世の心構えとしては、これら2点の両方を併せ持つのが理にかなっていると思います。
「望ましい未来をイメージ」し、努力したとしても、「必然」的にプロ選手になれるわけではありません。その時こそ「起きたことを受け入れる準備」の成果が問われるときです。未来を必然とするということは、「これまでの努力は、プロ野球選手になれないという挫折を味わうための過程であった」と振り返ることです。
もしそう考えられるなら、培ってきた能力や得てきたご縁をよりよく活かす新しい道を探すこと(クリチョイ流にいえば「物語を書き直す」こと)が、できると思います。
そうとうに強い心が必要です。しかし、もとより未来を必然とするという矛盾に挑戦するのですから、これくらいの強さを求めてもよいのではないでしょうか。