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勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来


ミニレビュー

これからのワークライフバランスを考えるために最適な一冊。著者自身、クリントン政権の労働長官を辞して話題になった人物だけに社会の問題から個人の生活の問題にまで考察が行き届いています。もちろんアメリカの社会とアメリカ人の生活ですが、我々にも通じるところは多いと感じました。

この本の構成は
PART1: ニューワーク
PART2: ニューライフ
PART3: 選択
となっていて、まさにワーク、ライフ、そして個人と社会の選択について述べられています。起-動線的に興味を読んで持ったのはPART3の『個人の選択』。

引用:

 

 われわれが暗黙裡に行っている選択について気がつくためのもっと確かな方法はあるだろうか。われわれは苦しい発見をするまではそれに気づくことはできないのであろうか。有給労働と仕事以外の生活との「より良いバランス」を発見するための自立を助ける本、オーディオカセット、自宅学習のコース、ニューズレター、そして手引書などが近ごろ雨後のたけのこのように出ているが、筆者はこれを詳細に調べるために最近の二週間の大半を費やした。

労働長官もやっぱりそうなのね こういう方が率直にこうやって自分の考えた道のりを文章にしてくれているのは、価値あることだと思います。自分だけ高みに登ってしまって、ワークライフバランスかくあるべしと書かれていたら、つまらない本になっていたことでしょう。

で、二週間の結果は?

引用:

 

これらすべての基本的なポイントは単純なものである。われわれは選択肢を持っていることを認めたくないかもしれないし、またその選択が意味するトレードオフ関係を受け入れたくないかもしれないが、われわれは常に選択を行っているということである。私がワシントンで労働長官として働いていたとき、仕事以外の私の生活が失われつつあることを認めたくなかったのは、その仕事がとても好きだったので、その好きな仕事が自分から奪っているものについてあえて考えないようにしていたからである。けれども私は仕事をすることによって仕事以外の生活が失われるということを、まさに自分自身で選択していたのである。前述のような本やオーディオカセットを買う人々や支援団体に登録したり個人コーチに助言を求める人々は、生活の何かを変えなければならないという決断をするだけの自省をすでに行っている人たちなのである。最も難しいのは、何を変革するかを正確に決断し、それを実際に最後まで遂行するということである。

ここまで書くと、何が彼をして労働長官を辞めさせ、ここまで考えさせたのか、そのきっかけを書かないと納まりが悪いですね。それは序章に書いてあります:

引用:

 

 数年前、私はある仕事に熱中していた。(略)私の問題は、その仕事が好きなためにやめられなかったということなのだ。(略)
 驚くことではないが、私の生活の残りすべての部分は干しぶどうのようにしなびてしまっていた。家族とふれあうことはなく、妻や二人の息子との時間もほとんどなくなっていた。旧友との交流も途絶え、自分自身と向き合うことさえ、仕事上で必要とされない限り、なくなり始めていた。ある晩、私は息子に就寝時間までは戻れないという電話をかけた。すでに連続して五回も「おやすみ」タイムに間に合っていなかったが、サムという年下の息子が「わかった」といった。でもそのかわり、私が帰ってきたら、どんなに遅くてもかまわないから起こしてくれるようにとせがんだ。私は帰りはとても遅くなるので、明日の朝「おはよう」を言いにいくよ、と答えた。しかし息子は「お願いだから起こしてほしい」と言い張った。理由を尋ねると、息子はただ、私が家にいるかどうかを知りたいのだと言う。そのとき私に何が起こったかを、今でも正確に語ることはできない。しかし私はそのときはっきりと、その仕事から離れなければならない、ということを悟ったのだ。