決断の根拠は「論理、目的、直感」
講師を務めているビジネススクールや企業研修の場で、しばしば、経営者あるいはマネジャーとして決断の根拠を何に求めるかという議論になります。正確にいえば、わたしがそういう話に誘いがちです。個人的に興味のあるテーマなので。
もちろん最初に出てくるのは「より高い利益率が見込めるほうを選択する」といった定量的・経済的な基準です。知情意でいえば「知」的な選択です。
そういった基準がほぼ等しいA案とB案があったとしたら、どちらを選ぶか。「組織のビジョンに照らしてみる」という意見もあります。知情意でいえば「意」的な選択です。
それでも判断が難しいケースで最後の手段として、あるいはまっさきに「直感で選ぶ」という声も挙がります。知情意でいえば「情」的な選択です。
ここでいう「情」的な選択とは、「感情の赴くままに決める」「情に流されて決める」というニュアンスではありません。情動の声に耳を傾けるといえばいいでしょうか。
情動は、ここでは「感情以前のシグナル」と定義します。感情と情動の違いについては以前のノート(『「いやな感じ」「いい感じ」にも意味がある』)にゆずりますが、最近簡単な切り分け方を思いつきました。
はっきりと意識できる心の状態には、名前がつけられています。たとえば「怒り」や「喜び」というように。それに対して、たとえば「オッ」「オヤッ」「ドキッ」「むむっ」「んー」「あれ…」「違和感…」といった、言葉では表しづらい、高速で微細なこころの動きがあります。前者のような、言語化されている(言語化できる)心の動きを感情、後者を情動と呼びましょう。
「直感で選ぶ」といっても、さすがに情動シグナル「だけ」で決めるという人はいません。ここでは情動を感じとって意思決定に組み入れることと解釈します。
「情動を意思決定に組み入れる」力はまさにEI理論(EQ理論)が定義する感情知能そのものであり、情動を感じとる力は「感情の識別」能力として定義されています。ではその力をどのように高めたらよいのでしょうか。
意思決定←直感←情動←六識
たとえば、ある商談に違和感を感じたとしたら、それはまず相手の振るまいや臭い(精神状態の変化は体臭の変化として現れ、それを知覚できる人がいるそうです)に対する違和感として知覚されたのでしょう。これらは外からの刺激です。加えて有機体には、置かれた状況から経験データベースを検索し、特定の対象に注意を向けさせるシステムが備わっています(『結果が出たら、しっかり喜怒哀楽しよう』)。両者があいまって情動シグナルを送信します。
つまり情動の源は、いわゆる五感によって知覚される外界からの刺激と、頭の中で生じる刺激(の受け止め方)ということになります。これは、仏教でいう六識ですね。
- 【六入(感官) ―― 六境(対象) ―― 六識(知覚)】
- 眼〈げん〉(視覚器官) ―― 色〈しき〉(色かたち) ―― 眼識(視覚)
- 耳〈に〉(聴覚器官) ―― 声〈しょう〉(音声) ―― 耳識(聴覚)
- 鼻〈び〉(嗅覚器官) ―― 香〈こう〉 ―― 鼻識(嗅覚)
- 舌〈ぜつ〉(味覚器官) ―― 味〈み〉 ―― 舌識(味覚)
- 身〈しん〉(触覚器官) ―― 触〈そく〉(冷熱など) ―― 身識(触覚)
- 意〈い〉(思考器官) ―― 法(思考の対象) ―― 意識(内覚)
仏教の認識論の構成要素(十八界) – *ListFreak
受け取ったシグナルをどのように意思決定に組み入れるかは置くとして、まずはシグナルを受け取るアンテナの感度を高めなければなりません。
そんなことを考えたのは、つい先日、ちょっとした発見があったからです。朝移動しているときに、わたしを追い越して歩いていった人のコートからナフタリンの香りが漂ってきました。後ろ姿を見ながら一瞬のうちに「今日は暖かいのに、昨日冷え込んだからコートを出したのかな」「ちゃんとした人そうだな」「親御さんと同居しているのかな」などなど、いろんな考えが一気に沸いてきました。ひと言でいえばなんとなく好感を持ったのですが、そのきっかけはナフタリンの香り(と歩き去っていく後ろ姿)だけなのです。心に浮かぶさまざまな感情や思考には源があって、それを自覚できるケースも多いはずなのに、気づかずに過ごしていることが多いのだろうなと、感じさせてくれました。
「追い抜かしていった人のコートが、ナフタリンの香りを残していった」とツイートしたあと、何かの香りについてツイートしたのは初めてだったことに気づきました。嗅覚を鍛えたいとは思いませんが、嗅覚を初めとする知覚と情動のつながりには敏感でありたいと思います。
EQを高める六識日記
そこで六識と六境の発想を借りて「六識日記」というのを考えてみました。
- 眼識(視覚):今日もっとも印象に残った色(色かたち)は何か。それが目に入ってきたとき、何を感じたか。
- 耳識(聴覚):今日もっとも印象に残った声(音声)は何か。それが耳に入ってきたとき、何を感じたか。
- 鼻識(嗅覚):今日もっとも印象に残った香(におい)は何か。それが鼻に入ってきたとき、何を感じたか。
- 舌識(味覚):今日もっとも印象に残った味(味)は何か。それが口に入ってきたとき、何を感じたか。
- 身識(触覚):今日もっとも印象に残った触(冷熱など)は何か。それが体に触れたとき、何を感じたか。
- 意識(内覚):今日もっとも印象に残った法(思考の対象)は何か。それが意識に浮かんだとき、何を感じたか。
最後の項目は、五感とは関係なく心に浮かんできた思いや考えを指しています。実際には五感からの刺激がきっかけになって浮かんできたのかもしれませんが、識別できないものはここに入れます。
練習のために昨日を思い返してみると、一日中オフィスにいたせいか、印象に残った味覚や嗅覚はと言われても、思いつきません。三食食べて、何万回と呼吸をしたはずなのに、情けない。
本当の日記よろしく書いていくことは、けっこう大変かもしれません。しばらくはリストを見ながら一日を振り返ってみて、六識の感度が、ひいては情動に対する感度が、どうなるかを観察してみたいと思います。